†  Diary - 2003/06 -  †

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06 月 01 日(Sunday)
 朝川を見ると赤濁りで増水していた。午前中に中止の決定が下されたが

昼には濁りもとれて鵜飼もできそう。船頭役員にそのことを伝えるとOKの

返事がでました。夕方、毎年グループで泊まりにみえる大澤さんがきれいな

彼女をつれて立ち寄られる。 『おっ、ついに・・・』 と思ったら妹さんでした。

楽しい会話をして帰られた。人口衛星の結合部分のお仕事をしておられる

方である。

 今日は先日TVを見たという伊勢からの家族がみえた。鵜飼が終わってか

ら庭で鵜の説明をしていると、高校時代に一緒に文化祭でダンスをやってい

た仲間の一人の松井さんが遊びに来た。中国に住んでいると思ったら今は

シンガポールの店でマネージャーをしてて今日日本に帰ったらしい。

一人でマンション暮らしの・・・うらやましい。遊びにおいでというも、ゲゲゲの

鬼太郎のように鵜とともに飛んで行くわけにもいかないし・・・。



06 月 02 日(Monday)
 今朝8時頃に、昨晩の松井さんがお母さんと焼きたての手作りのパンを

持ってきてくれたので鵜の庭で子供とよばれながら一緒にコーヒーを飲み

楽しい話をする。

 夕方になると外人さんをお連れの常連さんが来客。何とその方は木で鳥

の模型を作る職人らしく、写真を拝見すると冗談抜きに本物に見える。一体

500万円するという。剥製以上に本物のようで、それ位しても納得かな。

 外国の方なので鮎が食べれないと言われていた。長年のよしみで肉屋に

分けてもらった最高級?のサーロインをお出し。1枚3000円したが、僕

個人としては赤身の柔らかい肉(ヒレ)の方がいい。

 今宵の鵜飼には在る決心を持っていた。船頭らに一つお願いがあり。

昨年父の老齢化と体調不良により異例の若さで新米鵜匠となったが、

船頭歴の少ないままに鵜匠となるのにとてつもなく大きなしこりがあった。

その前3年程鵜匠見習をしている間に何度と船頭に、『鵜匠をたまに代わり

僕に中乗り(鵜匠の後ろで漕ぐ人)をさせてくれ』 と頼むが 『ええ、ええ。

大丈夫・・・』 実際彼等が引退した後に若い船頭や息子が乗るようになった

時に・・・教えれないし、指図もできない。叱ってやることもできない。

 鵜飼が終わってから一服の時、いつになく僕が酒を出しては飲ませるので

『何かあるな』 とは感じていたことでしょうが、こちらも真剣に考えている気持

をぶつけ、結果、たまに代わってもらう了承を得てほっとした。どやされる日

が多くなることだろう・・・。


06 月 03 日(Tuesday)
 今日は鵜飼が休み。正午。暑い日差しで鵜達も掃除の済んだ鳥屋を僕が

開けるや否や庭から突っ走って入って来た。鳥屋の中も暑くなってくるので

籠に入れて軒下へと移している・・・と、そこへ母と娘のお2人さんが訪問。

今年、関市の親善大使となった若い娘さんで鵜飼開きの日に初めて目にし

今度家族で是非来たいのでと、うちのパンフを持って帰られた。市のPRとし

て割り切って仕事をしている方がほとんどで私的には使わないと・・・思って

いただけにうれしかった。べっぴんさんだったしね。(この間この言葉を言っ

たら、50過ぎの知り合いのおばさんに『死語』の烙印を押されました。)

午後から観光協会の会合に出席。途中抜けて、朝から嫁さんらと約束して

あった『名鉄美濃町線の旅ツアーby僕』へ出発。最近やたら坊がトーマスに

はまっておることと、嫁さんをどこにも連れて行ってないのでほぼ強制的な

雰囲気の中「うん」と言わされる。嫁さん鵜匠でわたし鵜、かな。



関駅から白金駅までの片道10分の小旅行(笑)。一両の路面赤電車に久々

の乗車だった。マニアでなくても相当喜ぶ代物・・・と思いきや、白金に着いて

電車をバックにして子供の写真を撮ってると、鉄道愛好家の若い方が・・・。



駅前の小店でラムネを飛ばすおもちゃを買って津保川へと抜ける。入り小道

の小じゃれたケーキ屋で一服。そして一駅歩いて戻ることにしました。最初

は「そんなに歩くの」とブーブー言ってた嫁さんは気を紛らわすように歌を歌

い始める。元は田舎育ち。川沿いの田んぼ道を歩いていくうちに笑顔と、。

バッティングセンターで一休みし、レストラン『サンジェルマン』(昔から目にす

るも入ったことが無く気になってたとこ)で夕食!オーブン焼きのグラタンを

子供はおいしそうに一気に平らげて、親として満足。帰りにクローバーの花

を見つけては『花冠作って』と嫁さんと摘み、小屋名の駅で待ってる間に作っ

てもらう・・・お手軽格安3時間旅行でした。



夜、鵜の餌を済ませた後に近くの用水に、じいさんばあさんも連れて『蛍』を

見に行く。今日は蒸し暑いし、もう出てるかな・・すると竹やぶから一匹、2匹

「おった、おった」奥へ進むと50匹程飛び交ってる。消えたと思うと一斉に光

る繰り返しで、なんか去年より多い。じいさんらは童心に帰ったように蛍を追

いかけていた。坊がちょっと怖がりだしたので車に向かうとちょうど車の上で

一匹の蛍が上下して示してくれるので、映画のシーンみたいと皆で笑う。

みんなが子供に返った、いい日でした。


06 月 04 日(Wednesday)
 今日は今シーズン初御料鵜飼の日でいつになく緊張していた。

夕方古津地区(岐阜市の御料場)の御料場係の方が内閣府事務官の方を

お連れしてみえたので、乗船前に鮎料理を食べていただくことに。他のお客

さんもあって僕は父と鮎焼きに追われていたので、丁度いらしていた写真家

の古田さんに御方々と同席してもらう。一段落しごあいさつに向かう。

人事異動による初対面。お若いとても気さくなお方でした。何と僕の日記を

楽しんで見ていただいているとお聞きして・・・もーめっちゃくちゃ恥かしかった

です、はい。お二方といろいろなお話をさせていただきまして、話の流れで

宮内庁に小瀬鵜飼のポスターを貼っていただける、という有難い言葉も。

 今日は波乱万丈の鵜飼。鵜飼屋3件のくじ引きでは奥(トップバッター)と

幸先いいも、川を越し切り(対岸へと横切ること)出発早々鵜を籠から出す時

に手縄が先の方で結ぼってしまい、あっという間にぐちゃぐちゃ・・・。急な瀬

を下っている最中で、鮎もいる所とあってあせる!あせる!何とか直した所

に客船と合流。鵜の喉も次第にふくらみ、吐かせようとすると2度失敗。

献上の鮎が、流れて行く〜っ・・・。悔しさと自分の技術の無さに一時暗くなる

がまだあと一瀬あるし、かがりの火も再び勢いよく燃え出す。鮎の寝ぐらに

当たり、次々と鵜が咥えていくと声も弾む『ホーゥ、ホーゥ・・・どっぽーん!』

振り返ると中乗り船頭がいない。再びあせる!あせる!運よく腰までの深さ

の所であったが波打ち流れが激しい・・・さすが落ちても竿は離さず、何とか

自力で這い上がり再び流れに乗る 『あかん、あかん!』 今度は何っ○×?

前方に橋げた!ぎりぎりですり抜ける。久しぶりの鮎之瀬を下り、川筋も変

わっていたのでハプニング続出でしたが、結果は上出来。この時期で最高

の型の鮎もおり、大きな鮎だけで1枚。そして小ぶりのものが1枚に、雑魚が

1枚。家に戻って3軒で捕れた鮎を式部官らの立会いのもとに氷詰めす。

こんな時代に鵜飼屋のプライドを持って少しでも多くの鮎を献上できるように

と難しい瀬を縫ってもらえるうちの船頭に本当に感謝します。

鵜を寝させ、10時頃鵜匠衣のまま自転車で酒を持って船頭の家へ。

『いやー、申し訳ない。大丈夫、大丈夫』・・・と、体は無事の様子。

早く船頭らの努力を無駄にしないようにひたすら精進あるのみ




06 月 05 日(Thursday)
 鵜飼の廻し場(鵜飼船頭らが火を焚いて鵜飼が始まるまで待つところ)

での会話。

 『30年程前のことやわ、川回りの○さんが下の淵で真っ白な豚のような

真鯉を見て背筋がぞくっとしたそうや。ああいう川の主がおるんやなー。

見たらあかんもん見てまったと・・・』

 『後ろの淵もよー潜った。12,3めーたーくらい潜ると真鯉がぐっつぐつに

おってな・・・今でもおるわ。一分半ぐらいはすくんどったなー、ほんでよー

大きいのを見定めて紐の付いた針をかけるんや。あんまりでかいのやと引き

ずりこまれて死んでまう・・・よーやったわ。』

『下から水面を覗くと大きなうなぎがぷかーっと頭ーだしとってよ、そいつに

ひっかけたり。またこれが中に入ってまうと引っ張ってもなかなかとれんの

やわ。、息切れて上がらなあかんで腹立ってなー。気ーつけなあかんのは

岩ん中でぐるっと回った時でな、上と下が解からんくなるんや。』

『水圧でつ、つーっと鼻血もよーでおったしよ。』 『慣れやなも・・・』

『死んだ人間もよーけ見たし、引き上げたりしたなー』 『○さんが奴さん上げ

るで紐持っとれって言ってなも、つんと引いたら合図やで引いとくれってな。

しばらくして感じたで手繰り寄せたらえらい怒られたんや。なんで引っ張った、

ってな。どうやら足に絡んだらしくてな、まだ縛る前に奴さんの髪が目の前で

揺らぎながらその上を撫でて通ったらしいんや。相当気味が悪かったんや

ろーなー(笑)』 『わっちも何度か拝んだわ』

・・・・昔の人はきっついなー。





06 月 06 日(Friday)
 今日は鵜飼もなく夕方池の掃除をしていると、父が喫茶店(ムース)の

大将とその家族を連れて蛍を見に行ってくると出かけた。

急いで掃除をし終え、『とい君も行きたい!』というので坊を連れて後に続く。

奥で父達の声がするので向かう。皆で、ここから見るといいとかあっちの方

から見たほうが・・・いい年の人間がはしゃいで、時には70の父が飛び跳ね

て捕まえようとしている。それで、2歳半の子供に 『じいさま、ダメよー』 と

たしなめられていた。

『まるで銀座のネオンのようだ』、とか『蛍横丁だ』 などと言ってそのきれいさ

と雰囲気に酔いしれてました。写真家の古田さんも僕の話を聞いて昨日

岐阜市から早速撮りにみえました・・・幼少より久しく見ていないという奥さん

をお連れして。

実はその前の御料の日にも鵜飼を見物した後に向かったのですが涼しかっ

たせいか、50匹程しか見えなかったよう・・・。そのせいか昨日は多く見えて

鵜飼が終わったあとに『よかったよ〜』って興奮してうちに寄られました。

お泊りのおばあさんらもうちの母に『歩いて10分くらいだから一緒に歩いて

行きましょう!』 と騙され夜道を歩くこと片道20分・・・(蛍を見せたいのでした

が最近彼女はお腹が出てきて毎晩散歩しているので・・・もしかしてお年より

を付き合せたのでは・・・?)

翌朝おばあさんらが言う。 『十分って騙されたわ。しかし足の丈夫な人やね。

すたすたと歩いて行って私らにゃ〜きつかったわ。けどええもん久しぶりに

見たよ。夜寝る時なんか、ぱ〜と蛍がいっぱい目に浮かんでな〜。気持ちも

体もりふれっしゅ出来たんはええことやの。10歳程若返ったみたいやな〜』

ぎゃはは〜、と周りで笑い声が上がる。

僕の若さが吸収された感じがしました(笑)。


06 月 07 日(Saturday)
 川風吹けども暑い日でした。魚屋がつい先まで生きていたという大きな

サツキマスを持ってきたので2匹買った。

今日は子連れの御家族が多く、その中の5人兄弟の子達がうちの坊を連れ

て遊んでくれていた。小さな砂場を囲みひしめきあって砂まみれ・・・水入れ

て泥だらけ。夕方近くになると真っ黒な雲に覆われてきた。鵜の庭の周りで

子供らが遊んでいたら雨がぽつり、ぽつり。『どしゃぶりになるで家ん中に入

れよ〜』 というと急いで旅館の中へ走っていく。1分もしないうちに激しい雨

どころか雹(ひょう)も混じっていた。鵜籠を軒下に運ぶ矢先のことでした。

軒下を通るとちょうど玄関から母屋に入って足止めをくらったお客さんと合い

止むまでお話・・・{4年前の7月の大粒の雹のことを。一生に一度あるかない

かの大嵐で、4時頃だったかな。川向かいの山の上空が本当に『黒』色。

そして絶え間なく雷が落ちていた・・・急に横殴りの激しい風と雨が降り始め

たと思うと耳がおかしくなるようなすごい音。隣にいた嫁さんの声が聞き取れ

ないほどで窓が割れるんじゃないかと本当に思った。終わると軒下に雪の

ように5cm積もっていたんです。船の中も真っ白で・・・拾ってみればパチン

コ球2、3個分の大きさ。畑の芋の葉は見事に破れ去り、残すのは茎のみで

スイカもほとんど割れていた。後から酒の配達のおばちゃんに聞くと、車は

風に揺れボンネットが破れるんじゃないかと本当に怖かったと。そして次の日

のホームセンターはトタンの買い替え客でごったがえしたんです。}

 すぐに止み、河原で食事の済んだ子供に鵜を触らせてやった。鵜飼が終わ

ると母がお客さんの子供達を連れて蛍を見に行く。『20分くらいかかります』

と今日は正直に云ってた。10時頃かずちゃんが外人さん夫婦を連れてきた

ので今度は僕が連れて行く。時間が遅く乱舞はしなくて茂みでポワッ〜と光っ

ていた。しばらくすると下の方でばちゃ、ばちゃと何かが音をたてて歩く音。

この変ではよく人が・・・と言うと怖がり帰路を急ぐ。人魂のごとき蛍かな・・・。




06 月 08 日(Sunday)
 朝お客さんを庭にお呼びして鵜の説明をする。

8時半から地元の消防団の行事が入っていたが時間がずれ込み、ふらり

と訪れるお客さんが次々とみえて応対に追われた。しかし暑い日でした。

 この数日鵜の細かい羽毛がちらほら抜け始める。夏の衣変えの時期が来

たようです。そろそろ梅雨にも入りそうだし、ぐずつく気候に羽虫でも沸いたら

困るので近いうちに薬を散布することにします。

羽虫は弱い鵜、特に年寄りが注意。普段触っていると体でもぞもぞするので

よく分かる。人間には刺したりしないのでいいのだが、鵜の体に入り増えると

もぞもぞするので鵜も気持ち悪いのでしょう。足や口嘴で掻きむしりっ放し。

見てるだけで 『鵜〜痒い!』ってだじゃれが出そうなくらい・・・・・・。

あっという間に毛が抜け落ちて艶も無くなり、羽が乾かなくなる。

結果人間が風をこじらすように鵜も咳や鼻水を出したり・・・ひどくなると喉元

(扁桃腺?)が腫れあがり声がでなくなる。もちろんそうなると鵜飼にも連れて

いけなくなるんです。そうなる前に毎日鵜を見たり触る時間が必要で、早期

予防を心がけている。


06 月 09 日(Monday)
 明日から梅雨に入るようだ。紫陽花が美しく色んでいる。庭隅にある梅の

木の実を毎年梅雨が明ける前か後に採るかで父と母がもめるのだが今年

はそれが無い。梅がわずかに実っているだけで・・・たもで取る楽しみが無い

のでなんだかさみしく思う。

 今日は鵜飼休み。船頭の子らが河原で釣りをして遊んでいて、うちの坊も

混じって真っ暗になるまで遊ばせてもらっていた。興奮しすぎて川に落ちる。

べたべたになり擦り剥いて大泣きしてましたが、これで少しは勉強しておとな

しくなってくれまいか・・・そっこらじゅう走り回り飛び跳ねてじっとしてない。

・・・困った息子だ。


06 月 10 日(Tuesday)
 昼からどんよりとした雲に覆われ次第にぽつり、ぽつりと雨が降り始めた。

河原の白鷺の色がやけに目立ち、そして似合う・・・梅雨の到来です。

強い雨に備えアカシ(松の根っこの脂が凝固した状態のもの)を多めに持ち

船出する。鵜飼の廻し場に到着するとお客を乗せた遊船舟がすぐ横に停泊

し、その船頭がこちらにやって来た。どうやら有名歌舞伎役者の I 川氏一行

が乗船されていたので、その船頭が鵜を持って行って説明してやってくれと

頼まれる。鵜飼の説明のとても上手な熟練船頭なので僕じゃなくても・・・と

断わるものの 『せっかくだから』 と強引に連れてかれました。どの方がその

当人か分からなかったが皆眼つきがしゅっとした、いかにも役者らしい面々

が見受けられた。(ちなみにその船頭らはしこたまサインをもらって 『鵜匠さ

んにもちゃんと頼んでおいたから』 だと。嬉しいけど利用されたような・・・?)

小雨ながらも適度な向かい風に、かがりの火も勢いよく尾を引く。今日は首

結いを緩めたせいもあり、また鮎もよくついていたのであろう、次々と鮎を捕

まえる。役者さん達は小瀬の鵜飼を堪能していただけたろうか・・・猟として

の鵜飼の雰囲気で見てくれたのか、はたまた未熟な役者の舞台と見たのか

・・・何か感じていただけたであろうか・・・そういう古典芸能のお方の目には

どのように映ったのか聞いてみたかった。


06 月 11 日(Wednesday)
 朝、三味線の勝鮎先生がみえた。明日のはずだったがどうも日を間違えて

らしたよう。昨日の話をすると 『何で教えてくれなかったの!』 と怒られました

だってうちのお客さんじゃなかったし急なことで・・・と説明。先生のお師匠さん

は杵屋の家元であり、舞台で大変ご活躍のお方。そして昨日の方達ともお知

り合いだそうで・・・とても残念がられていました。一緒にコーヒーを飲んだ後、

鵜部屋に向かい掃除を始める。途中観光ホテルの社長さんがみえて昨日の

お礼の言葉とともに役者さんに描いてもらったという色紙を頂く。大変喜ばれ

ていたと聞いて嬉しかった。

  この前ホームセンターで購入した金魚を水槽に入れたら、古参の金魚に

病気を移して数日後共に死んでしまった。特攻隊のような奴だった。よって

昼から江南線にある大きな金魚屋さんへ行く。

 まるでソフトボールのような金魚達。とにかくでっかい!『これが出目金?』

あまりの大きさに笑いがでる始末。こんなのが祭りの屋台に出ていたら面白

いのに・・・コーン3枚重ねて1000円とか。そんでも絶対に取れないが(笑)。

 まるで愛らしい金魚のような顔の主人に飼い方のコツを聞く。水はあまり変

えるな、餌は一番安いのにしろ?などなど。結局5匹の金魚と3匹のタナゴ

に、その卵を植え付ける為の大きな貝を購入。かわいくて元気なものを選び

自分ですくい上げる。一昔前は金魚なんて・・・と思っていたがやっぱりいい。

同じ種類のものでも美しさだけじゃなく、ブッサイクな奴から個性的なもの。

西洋と違った鑑賞の形が面白いし、子供の頃のお祭りを思い出させるしね。

 帰ってから庭の石を動かす父の手伝いをして、暗くなるまで池の掃除をして

から・・・今宵も蛍を見に行く。蒸し暑い中を涼しげに舞っていた。


06 月 12 日(Thursday)
 今日の鵜飼はローテーションを変えた。鵜ではない。

艫乗りの船頭が鵜匠、中乗り船頭が艫乗り、僕が中乗りをさせてもらう。

思い悩んで・・・今夜作戦実行!  艫乗り(鵜舟のかじをとる1等船頭)が舟

を熱心に洗っていたので思い立つ。彼の代わりにいつも通りの10羽の鵜を

舟に運びこみ彼の目をじっと見つづけて、はにかんだところ即座に告げた。

『鵜を2羽減らすから、今日船頭やらしてくれ』 と。 ぼそっと 『いいけど・・』

と言ってくれたので走って2羽の鵜を戻しに行く。作戦成功でした!

 嬉しいのもあったが乗りすぎて(船頭用語:船を前に進めること)鵜が後ろ

に引かれていたりと、艫乗りとの呼吸が合わない。久しぶりの鵜飼船頭をし

たが向かい風もなく、昔と比べて力もついているから櫂(舟をこぐオールのよ

うなもの)がよく効いたのだろうが以前の舟と重さが全く違う。

  去年うちの舟が老朽化。新しい舟ができるまで岐阜の鵜匠に譲っていただ

いたのだが、以前の舟の時は漕いでも漕いでもちっとも進まず船頭殺しの異

名をとっていた。実は先々代の爺が母屋の屋敷内に展示できるようにと1m

も短めに舟を作らせてあったせいで、方向転換はしやすいものの推進力は

全くといって良いほどなかったのです。それで鵜飼が終わる時には毎回腕が

上がらなかった。

この5年間若い鵜匠見習の僕はそんな舟で中乗りに 『もっと漕いで!』 と

偉そうに言ってました。やはりお互いの仕事を体で知り得ないことには

わだかまりも出てくるし、注意も的を得ることが出来ない。そして何かあった

臨時の時に代われないといけない。

 今日は船頭らの心意気に感謝。鵜飼後お茶で一服した際 、またやるのか

と苦笑いしながら困った顔で言う。鵜匠の経験があるものの鵜を逃すまいと

相当力と神経を使ったろう。『また、お願いします』 ・・・再び苦笑してた。

川の表情を感じとるにはやはり舟を漕ぐこと。また鵜匠はそれを最も知らな

ければなりませんから・・・もちろん1回2回で解かるはずは無いが。


06 月 13 日(Friday)
 夕方メルの散歩をした帰りにカネモのじいさんの家へ立ち寄る。間もなく

梅雨の合間の日が差して蒸し暑くなって来た。蛍の話をし、今夜一緒に見に

行くことになる。7時半に子供と嫁さんを連れて迎えに寄る。

 まだ薄暗くて茂みの中で止まっていた。じいさんが話し始めた 『上の蛇尾

の瀬の肩に大岩の淵があってな、そこの竹やぶの水が落ち込むところ・・・

鵜飼をしててそこにさしかかった時にな、辺りが明る〜なるくらい固まっとった

もんやわ。こっちは鵜飼でそれどころやなかったけどなぁ。』『よぉ〜捕まえて

は蚊帳の中に入れて子供等が楽しんでたな』 と、ばあさまも続ける。そんな

話をしてる間に舞い始めた。爺曰く『竹やぶが透けて見えるようや・・・』


06 月 14 日(Saturday)
 梅雨らしい気候が続く・・・。先日鵜匠代行をした船頭は左腕の筋肉痛、

僕は左脇腹が少々筋肉痛。役割によって使う所が違うから職業病となって

しまう。ちなみに鵜匠は腰痛である。

 いい川だったが遊船舟に押されて道がずれたこともあったのか、今日はあ

まり魚を捕らえなかった。鵜に餌をやり、雨が降ってたので鳥屋の中で羽を

乾かしてやる。今夜は久しぶりに連れの家で麻雀・・・半年ぶりだ。

 子供を風呂に入れてから迎えに来てもらう。酒を飲みながら頭の体操は

なかなか難しいが、運だけは良かった。明日は朝からお客さんに、網の解禁

に、嫁さんの両親の来訪にと忙しくなりそうなので、途中抜けて帰る。

送ってくれると言うが酒を抜きながら一人、車も通らない鮎之瀬橋をふらふら

と歩いて帰った。


06 月 15 日(Sunday)
 正午より網漁の解禁。30分前となると河原には大勢の網漁師たちが今か

今かと待っており、正午のサイレンと共に一斉に網を打つ。狙いはもちろん

群れた鮎である。細かい目の網を使い数を追う者や、久しぶりの感触で網が

丸いだんごになって飛んで行き苦笑する者、あるいは周囲の目も気にせず

長〜い網で川を張り切ってしまう者・・・・・『やんちゃな人やな〜。そのスジの

人間やろか』 じっと鮎を待ってるとバシャバシャ網を落としながら僕の脇を

通りがかり、鮎は捕れるか?などと聞いてくる。ふざけたおっさんだと思って

腹立って言い返そうと振り返る・・・と小学生の頃スポーツ少年団でお世話に

コーチ。『おおっ、足立君か!立派になってぇ〜、新聞で活躍のうわさを・・・』

・・・何も言えず、魚影のなくなった川の中でしばらく黄昏てました。

 記念すべく解禁最初の成果は初めの一投げで捕れた鮎一匹で、その間に

到着してた福井の両親に焼いて食べてもらう。店の休みにあわせ2日間の

休みを嫁と子供にやった。

 今日は鵜の首結いの締め加減が甘く、たくさん鮎を咥えるものの全部胃に

直行!終わってからお客に鵜が魚を吐かない理由を話すと、ガハハと笑わ

れた。小瀬の子供に魚を見せてとせがまれ、かろうじて喉に停まったうちの

一匹の大きな鮎を自慢気に見せると 『なんだ。一匹か?』 と言われちょっと

凹みました・・・だから今日はよく捕ったんだけど首結いが・・・。

 鵜を鳥屋にしまい、魚田商店に直行・・・今日は美濃町で夜網が行われた。

百枚程とれた様子。昔は鵜飼屋が毎晩そんな様子だったのだが、今や子供

に笑われるほどだ。




06 月 16 日(Monday)
 よ〜雨が降る。いかにも梅雨らしい日々が続いてます。昼間に藍川橋の

燃料屋(松割木をたまに買うところ)のおっちゃんがみえました。一昨年前に

お邪魔した時、そこの奥さんに貰った干し柿のことを思い出しました。

表面は柿から出た糖で分厚くコーティングされてて・・あんなおいしい干し柿

は生まれて初めてだったんです、とその時の感動を話しかけたがおっちゃん

はまるで聞いてないかのように違う話を切り出す。

でもって松の話で盛り上がる。

先々代との面識があるものの、うちに来るのは初めてだった様子でただただ

庭の雰囲気と母屋に感心なさっていた。『こっちの鵜飼のほうがええとは聞

いてたが・・今度からはこっちに来るわ』 ・・・・・みんなそのうわさ話はするが

景気がいい頃はみんな町の明かりの華やかな方へ行く。ただ最近は逆で

本当にその『うわさ』から小瀬に足を運んでいただけるようになった。

 豪快な海の魚は大海の中でも光に集まるが、川の質素な故郷魚は光を

嫌って暗闇へ逃げ込む。

周りの自然に恵まれた小瀬の鵜飼だが歴史背景は岐阜長良の鵜飼と共に

生き抜いてきた。ありがたくもここ最近はマスコミの方達にここを取り上げて

いただけるようになったが、将来的生き抜くのはやはり岐阜の鵜飼であろう。

長良川の自然環境は限界に近づいている。関市が大きな町でない以上、

完全な『観光主体の鵜飼』となったら代々続く鵜匠の家系も終わること。

 ただ故郷魚の鮎の澄む家(石)、戸を考えなければ、本物の猟の観光鵜

飼を見せれるはずはなく、客の戸もまた決して開かない。

少なくともかの喜劇王チャールズ・チャップリンは岐阜の鵜飼で鵜が多くの

鮎を次々と飲み込む猟の鵜飼を目にしたことでしょうに。結局は古くから日本

人が大切にしてきた山や川の神々をあまりにも無碍にしてきた新世代の人

達へのつけ。これは行政のせいではなく利便に乗じた国民の責任。



06 月 17 日(Tuesday)
 昨晩川でテイナ(投げ網の一種)をし、クジカナと呼ばれる魚が多く捕れた。

川から上がったのはちょうど9時かな・・。その後池の掃除などの仕事もあっ

て家の中に入ったのは11時頃。寝たのは3時と遅く、かなり寝坊しました。

 起きて川を見ると茶色に濁り水位も大分高かった。

梅雨時でじめじめとしてて鵜舟もアオコが目立ってきたので夕方タワシで擦り

洗っていると、見習船頭が半天持ってやってくる。舟を教えるベテラン船頭も

水位が高くて来ていない・・・川の状況を知らずに来たのでした。

『今日は無理っすね』 『いや。できるさ』 『えっ!・・・』 同乗して 強引に練習を

開始した。僕はたいして技術も経験もないが偉そうに何もしないで黙って乗り

彼1人で川を越し切らせるがかなり流されて舟が前に進まない・・・だんだんと

流れの速い瀬に押し戻されていき、交代。『やばい!偉そうなこと抜かしたの

に進まん!?』 少しあせりましたが次第に進み面目を保つ・・あ〜良かった。

そして上流へと行き深みの流れが急なところで櫂を漕ぐ練習。 僕もたまに代

わっては練習したが数分で筋肉はいうことが効かなくなった。

 普段は鵜飼があって練習もできずこういう川の荒れた時しかやれない。

鵜匠といえどもこれから遊船舟と何か言葉の衝突があった際に 『できんくせ

に偉そうなこと言うな!』 と言われないために。

また昔と違って山の保水力が無いので雨が降ると一気に川の流れが変わる

為若い船頭らと共に学ぶ。終わってからくたびれた様子で船頭にお礼を言わ

れたけど・・・こちらこそ。僕の練習に付き合ってもらえました。




06 月 18 日(Wednesday)
 雨が心配だったが御料鵜飼も無事終了。水位が幾分か高くも水は澄んで

いた。今日はお客さんの乗る遊船は2艘に対して鵜飼舟3艘と150%の貸し

切り状態(御料鵜飼時は客の入りに関わらず3艘で行う為。)増水後の1番川

の鵜飼は始終鮎を捕りずくめで、本日みえた国のぉ偉い役人さん達も日本

の伝統美に酔いしれてみえました・・・特にナマズを咥えた時なんか鵜がなか

なか飲み込めず、やっと飲み込んだ際に歓声が上がる。滅多に見えないが、

うなぎを咥える時なんかはもっと面白い。くちばしに巻き付いてしまい飲み込

めない、つまり・・・鵜が難儀するからうなぎ、とここらの鵜飼屋連中は言う。

 途中何度と鵜の喉が歪な程ぽんぽんになり『吐かせ』に追われる。客舟が

拍手と共に離れると、間もなく急な瀬にかかろうとする。長い鮎之瀬だ。

手縄を裁いては、かがりの松をめいっぱい補充。その間にも喉は膨れ上がり

霧が漂う夜川の急瀬。石を縫う道筋は船頭任せ。新米鵜匠は水先案内でき

る余裕は一際無く、魚を吐かせることのみに集中。瀬の流れ落ちの河原に

舟をつけて鮎の選別。本当によう捕れました。

『鼻高く帰れるね』と笑いながら帰路へ・・・・・・ 中乗りが綱引きながら

2人で波打つ瀬を漕ぎ上る。途中1ッ匹の蛍が舟横をゆら〜り、ゆらり。僕ら

の動きと対照的で何か不思議な感じがした。

 家の下に到着すると御料場係の父と式部官が首を長くしてお待ちかね。

しかしその鮎の多さに笑みがこぼれる。屋敷で氷詰めをして岐阜の貨物へ

と届けました。本当にあれほど咥えたのは久しぶりで・・・いかにも鵜飼を

した気持ちになりました。いつもこんな鵜飼でありたいなぁ。




06 月 19 日(Thursday)
 夕方になると次第に暗い雲に覆われてくる。

船着き場で鵜飼の準備をし終えて空を見上げると、雲がもの凄い勢いで山

へと昇り始める。東海テレビさんが関のうなぎ屋特集を組むということで小瀬

の鵜飼もPRしていただけることになっておりまして (市の観光化の方々が口

を添えていただいたのでしょう。ありがとうございます・・・)台風の余波を気に

しておりました。上流に竿さして向かうも強い風のせいで舟があらぬ方向へと

持ってかれる。客の舟から提灯を上げられ出航の準備・・・。今夜は鵜飼舟

が2艘でうちは後番。先輩鵜匠の岩佐さんが出られてから、うちの中乗りが

廻し場(かがりに火をつける為のたいまつ)に火をかけるが横殴りの風のせ

いで火が飛んでしまいなかなか付かない。艫乗りも舟先に駆けつけて半天で

覆い、2人して火を起すのに7,8分かかる。先の鵜舟はもうはるか彼方。

しかしおかげで風も弱まり楽に来れました。

 鵜もそこそこ魚を咥え、TV局のカメラマンもうちのお客の方達にも満足して

いただけた様子。丘に上がると10分もしないうちに強風が吹き荒れてきて、

火起こしの不手際が結果好運となった。

 鵜飼後にお泊りのお客さんが炭酸のジュースが欲しいと申され、子供を

連れて3人でコンビニへと車に乗り込む。道中お客さんが、小瀬鵜飼は初め

てで大変すばらしかった、来年も是非来るとおっしゃられまして店では子供

にアイスクリームをいっぱい買ってもらいました。大半は僕がいただくことに

なろう。子供の体には毒ですから・・・甘いものに目のない私(笑)。


06 月 20 日(Friday)
 昨晩やはり上流でかなり降った模様で川は茶色くなって増水し、今晩の

鵜飼は中止の決定が下された。しかし暑い日・・・雲で覆われ風が吹くにも

関わらずこの暑さ。全国各地で真夏日を記録した。そのせいか再びムカデ

が出始める。今日退治したのは4匹で朝嫁さんが車の中で大きなのを見つ

けたのが最初。外に落ちるや否や車のタイヤで踏みつけたそう。

次に僕が鵜部屋で掃除してたら、隅でこれまた大きなのが・・・ぐったりして

るようだったので鵜に突かれて死んでると思い、拾い上げるといきなり暴れ

だす。慌ててデッキブラシでやっつけた。そして昼頃仕入れた鮎をひらきに

して天日で干しながら蝿を追っ払っててふと庭石の下に目をやると、奴が

のんびり涼んでいる。そこは子供が遊ぶところ・・・天誅!

 そして夜。この暑さだが6月にクーラーは、と蚊帳を引っ張り出して取り付

けることにした。嫁さんは仕事の手伝いで忙しく、坊と一緒に汗だくになって

工事完了!聞いたら嫁さんに間違いなく怒られるが、あまりに嬉しくてつい

その汗まみれの体で一緒になって蚊帳の寝床で横になっちゃいました。

 風呂に入る為に階段を下りようとすると 『あっ。お父ちゃん!ミミズだ』

いやミミズじゃない・・・これまた大きなムカデ。よくこんな薄暗い階段の一番

下にいるのを見つけたものだ。坊と一緒に仕事場のおばちゃん達に見せに

行くと 『まだ起きてるの!』 と嫁さんに怒られた・・・。




06 月 21 日(Saturday)
 今日も梅雨間の暑い日差しとなる。昼過ぎにお手伝いさんがすっぽんを

持ってきた。昨晩旦那が川で捕ってきたもので、網籠に生きたまま持って

きてくれた。僕はすっぽんは経験がなく料れないので明日母が知り合いの

料理人に頼むことにしました。紐を解いてそーっと見る・・・顔を半分覗かせ

睨みをきかせている。新鳥(来たばかりの野生の鵜)の眼つきに似ていた。

『いつでも噛みついてやる・・・』 という雰囲気。やはりただの亀ではない。

 夕方写真家の古田さんがこの間撮った蛍の写真を持ってみえた。3分程

シャッターを開放して写したもので、それはきれいな写真でした。ちょうどそ

の時、数十年前の鵜飼関係を集めた新聞スクープを持参されてたのでお客

さんがみえるまでの間、じっくり読ませてもらい大変いい勉強となった。

 濁りは取れたが水位はまだ高い長良川。よって全船は船外機の付いた舟

によって上流へと牽引されました。日も長くなり、いくら景観が良いと言っても

お客さん方、舟の中でただ待つのに痺れをきかし廻し場に多数見学に。鵜の

体調を見ながら説明をする。

 今宵は鵜舟三隻。くじ引きでまたまた初川(洪水後初の猟)での奥(トップ)

となる。いくら初川でもちょっと水が高いかなと思っていたが今日も先の御料

と同様。咥える!咥える!捕りっ放し。一度に4羽の鵜が同時に水面で咥え

ることが度々ありました。ホームページを見て来られたお客さんが今日は多

数見えていた・・・初めての人には特にこんな鵜飼を見ていただきたいもので

また、見せてあげたい。



06 月 22 日(Sunday)
 初のすっぽん料理だ!

鵜飼前に下有知の料理屋さんに行って捌いてもらう。ちょうど美味い大きさ

と言われ、夕飯がさらに楽しみ。母は恐ろしくも血を飲みたいと願うが、今は

病気やら伝染病の心配があり駄目と断わられ残念そう。あっという間にきれ

いに捌き、鍋用とから揚げ用の二つに分けられた。 すっぽん顔の店主に

お礼をし、家に帰って早速調理。昆布だしに塩と醤油のみの味付け・・・店主

曰く、すっぽんの味をおいしく味わう為、と。なるほど。うちの鮎の赤煮にして

も風味を活かす為にさっと煮るだけ・・・ま、何にしてもお客さんが新鮮であり

高級食材とみなすモノほどいわゆる『猟師料理』と呼ばれる小細工のない、

あっさりとした味付けが心を射止めるもの。

 まずはから揚げ・・・鳥肉のようでありまったく嫌な癖がなく、おいしい。

鍋・・・うまい!ゼラチン状の皮のところ、肝、内臓・・・ゲテモノチックで嫁さん

はアウト。ただ美容のためゼラチン部とスープは飲んでいた。たしかにうま

かったし、いい勉強となった。

 一日中静かな川で鮎も騒がなかった日。今日は深みで垢を喰らっていた

のか昼間の猟師もさほど成果を上げていなかった。そして鵜飼でも昨日と

は打って変わってあまり鮎を捕らえなかった。水位が高い割に水も澄みすぎ

て、また風も吹かなかったせいか。山際の深みに行きたかったが釣り人が

大勢いたので寄れなかった。この年1番の大きな鮎が捕れたものの結果は

20匹ばかり。気象条件は人の及ばないところだが、ちとさみしかった・・・



06 月 23 日(Monday)
 再び梅雨空が戻ってきた。田んぼのあぜ道を歩くとおたまじゃくしが一斉に

動いて水面を揺らす。そういや皆さんはカジカガエルってご存知です?

川の瀬肩の中から『ヒョー、ヒョ−ー』って実に美しく高い声で鳴く蛙です。

この辺りでは魚の名前でもあるのだが略して『かじか』と呼んでいて、船頭ら

の言う、前足が3本しかなくその先に丸い吸盤が付いている・・・という認識で

いたが島根県にある『平田市立鰐淵小学校猪目分校』のHPを拝見してみる

と実際は前足4本に後足5本、オスは4cmメスは7cm・・・と詳しく勉強させ

てもらった。しかし姿とはかけ離れた美しい声は蛙とは思えないが、田んぼ

の『げ〜、げ〜』 もまた夏らしくて、僕は好きだな。


06 月 24 日(Tuesday)
 今日は予想以上の雨が降り鵜飼は中止に。夕方ラジオ放送の打ち合わせ

があり、関係者らとともに予備録音を行いました。

 僕は若いのでなるべくでしゃばらないように心がけましたが、心にかなりの

わだかまりが残りました。というのは鵜飼の歴史等についてのこと。

 小瀬鵜飼は千有余年の歴史となっているが、半分当たり、半分違う。

というのは黒野(岐阜市)周辺の鵜飼屋が小瀬はもちろんのこと美濃の奥ま

で猟をしていて、後に二つに分かれたとされているからです。つまりはかぶっ

ているから、そして文献の少なさがそのようなあいまいな記述になっているの

ですね。長良川の大洪水の前後の時期が実際の『小瀬鵜飼』の始まりらしい

が、なぜそうなったか詳細が解からないのです。HPの歴史のページに書いて

あるのは昔から続く唯一の家系としての知りうる書物の一部だが父に言わせ

ると、やはりうちの初代が『小瀬鵜飼』を始めたらしい・・・?

 ホント?というしかないのだが、代々先代鵜匠より聞かされ続けた小瀬一

の謙虚な父が語気を強めて言うからにはそうなのかな、と思ってしまう。

ただ。長良川の鵜匠が源頼朝を二度も助けたことや、城攻めの手助けを

断わって家を焼かれた経験を持つ長良の鵜飼の鵜匠の義理深さをみると、

1代目新兵衛が小瀬で鵜飼を拠点に始めれたのは漁業権を持った小瀬の

村長の手引きはもちろんのこと、長良の鵜匠が彼を清和源氏の末裔である

ことを考慮した可能性もある。というのは幕末まで7軒ほどあったの小瀬の

鵜匠(ほとんどはうちからの分家らしい) がうちを除いて廃業し、後に鵜飼を

始めれたのは献上を行う鵜飼業者である性格上、由緒ある家柄であること

や人間性を見極めて、時代ごとの漁業権管理者がその決定を下したりした

からである。

 何にせよ僕を含めた現在の鵜匠にはとうてい軽く話せる鵜飼の歴史でない

ので、少しでも早く関市の観光課職員の方達にお手伝いを願って、昔の鵜飼

をよく知る7、80歳の御年配の話や文献の編纂に務めなければならない。

 今のところ若鵜匠の戯言と思っていてください(笑)。ただあまりにも歴史を

知らない方達に『違った小瀬鵜飼の歴史』を語られ鵜飲みにされるのが悲し

いだけなのです・・・もちろん僕にもすべては解からないし、マスコミの方達に

は確証ある物事しか話さないことにしている。

 明日はお客さんが大勢みえるのに川の増水が不安で眠れずついつい日記

も長くなってしまった。また『小難しい日記』 と大澤さんに叱られる。

 激しい雨の音にも負けず、田んぼで小さな蛙どもが鳴き通す・・・


06 月 25 日(Wednesday)
 今日は御料鵜飼の日だったが昨晩降り続いた雨により中止となった。

前日の長良の鵜飼は決行となったようでした。朝、岐阜にて滞在しておられ

た式部職より連絡があり、献上鮎の都合をつけたいが川の状況を見るか

らに困難と理解もされ、また船頭の危険があっては・・・とのご心配も受けま

した。

 御料場係という上司?の父とも相談をして中止決定の連絡を伝える。

しかしその時にも話があったのだが・・・先日の茨城県十王町の鵜捕り場の

崩落の件である。長良川の鵜匠に限らず全国の鵜飼屋の頼みの綱である

ので、早急な対策が求められます。その崩落の際に日本唯一の鵜捕獲者

である沼田さんが御無事であったことは何よりであります。

 
 
 洪水で鵜飼も中止ということで昼のお客様と同様に、夕方も食事の合間に

鵜飼の説明と鵜に餌を与えるのをお見せしました。今日は10数年前にも

来られたお客様が下見の方も含め三組もございまして、以前と比べて新しい

建物ができるも屋敷の雰囲気は変わらずよろしい、とのお言葉を頂戴。

そして長年鮎釣りをしていたというご老人と長々とお話をさせてもらう。

 鵜飼が無く残念がられていたが、こうして来られ喜んで帰っていただける

のは本当にありがたいことで、ひたすら御先祖様に感謝である。


06 月 26 日(Thursday)
 今日は鵜飼、食事のお客様共になく全休!ってことで普段出来ないとこ

を掃除しました。瓦礫等のごみがいっぱいあったので愛しのベンツ(軽トラ)

にてごみ処理場へと出かける。夕方うちに着いて鵜に餌をやろうとしてたら

遊船会社のおばちゃんから急きょ『鵜飼あり』の連絡。5名のお客様。

 水位が高く運行ぎりぎりの状態であったが水も澄み、3日ぶりの初川。鮎

も多く期待できそう・・・。きれいな夕日に照らされ上流へと向かう。廻し場で

鵜の健康を計っていると、2人連れの夫婦がふと立ち寄る。旦那さんは絵書

きで何やらスケッチされている・・・どうやら大垣にお住まいでドライブの帰り

に『小瀬鵜飼』の看板をみかけ寄られたそうである。ここのことは『うわさ』で

耳にしただけ、と。 いろいろ鵜についてお話をさせていただきますと、船に

乗りたいとおっしゃる・・・遅くなるからと奥さんは否定的だったが、今日の

鵜飼はよく捕るという僕のお墨付きを得てその気になった?遊船船頭に話

を持っていく。

 結果山際を舐めるようにして行った今日の鵜飼は、鮎もたくさん捕らえ

お客様を魅了した様子でした。今日はうちのお客様がみえなかったし、他の

5名様もうちの船頭の知り合いで祝儀を頂いたこともあって、皆さんを鵜の

庭へと案内し説明、御覧いただいた。2名さんを車の停めてあった上流へと

お送りする際の車中で奥さん 『私、俳句をやっているんで考えながら・・・

と思ってたんですが、あまりの感動に考えるのを忘れてました』 と。

 これ以上ないお褒めのお言葉でした。


06 月 27 日(Friday)


鮎の仕分け作業をしてると富岡小学校の生徒さんらが訪問!観覧席で輪に

なって質問会を始める。子供達の純な視線が心地よく、また照れくさかった。

先生に手土産をいただいちゃいましてお礼を言いお見送り・・・そして間もなく

大勢のお客様方が到着し、鮎焼きに追われる。遠路はるばる石川県より来

て頂き説明にも余計力が入る。

 お客様が帰られた後、じいさんと坊が田んぼでおたまじゃくしを捕まえて

来て旅館の水槽に入れたのだが、えらいことになっている。先住民の金魚

や2年目の雑魚に加え、先日その2人によって入荷された80匹程のウグイ

の稚魚、そして今日の変身中のおたまじゃくし。金魚は肩身の狭い思いをし

ているように思えたが、嫁さんは見てしまった!それは金魚の口からはみ

出た小さな足・・・二度と入れさせないでと彼女から念を押される。

 でも去年見た観覧席での事件ほどではない。いつも杉苔の合間から頭を

覗かせていた一匹の大きなトノサマガエル。その日も同じように上から見て

いたのだが、衝動に駆られ 『 つん 』 と触ってしまった。慌てた奴は目の前

の鵜の池へ飛び込んでしまった。『あっ!そっちは・・・』 と焦るも予想通り

の結末。運悪く中で泳いでた鵜の目の前に落ちて反射的咥えられ、さらには

他の鵜達が向かって来た為に慌てて奴さん、飲み込んでしまった!

 消化が悪かったのか鳥屋の隅に吐いてありました。半分?僕のせいでも

あったので、表の庭の隅に埋めてやりました。  

 殺生は残酷なこと。それをさせる我々はとても業の深い人種だろうな。



06 月 28 日(Saturday)
 深夜2時頃まで宇宙人さんのお連れさんと酒の席をご一緒させてもらい

まして、翌日この日記を書いております。

 上流で雨が降ったようで夕方増水し始め鵜飼は急きょ中止に。料理、鵜飼

の説明後子供を風呂に入れてから宇宙人さんら一行の席へと向かう。

 廊下でべっぴんさんの彼の妹とすれ違う。帰られると聞いて残念、一足

遅かった・・・。

 旅行のアルバムを持ってきた宇宙人さんに話を伺いながら興味深く見させ

てもらいましたが実に美しい写真の数々。しかもデジカメで撮ったもので1枚

40MBだと・・・構図のうまさはやはり学生時分に写真部の部長だったという

ことから納得。リバーサルフィルムの類のものを直接スキャナーにかけれる

高価な機器をお持ちだとか。

 それから携わる仕事上、宇宙の話から人生論にまで至るいろんなことを聞

かせてもらいました。特に中にいる50代のおやじさんの話は貴重なもので、

やはり若い人間だけでは膨らまない話題になっていく。

 同席させてもらえて嬉しく思いました。朝はちょっときつかったけど・・・


06 月 29 日(Sunday)
 朝起きて長良川の水位をみる。まだ濁ってるし水位も高く、鵜飼は出来て

も遊船はつけれるか?微妙なところである。夕方までには下がるだろうが

遠方より鵜飼だけ見に来るお客さんには適当なことを言えない・・・という事

で会社はキャンセルを勧めた。実際夕方には鵜飼にはちょうどいい状態に

落ち着きましたが、こればっかりは自然相手のことなので『予想』となる。

結果、かなりのお客様がキャンセル。

 昨日のお客さんは本当に残念だった。一方今日は初川でもちろん捕りづ

くめであった。外国の写真家の方もみえていまして、良い鵜飼をお見せでき

て良かった。船頭も 『気持ちがええな〜』 と。 鮎も日に日に大きくなって

見ごたえもあり、お客さんの声も一際高くなっていく。

 鵜の庭で説明をした後外人さんのお連れの女性が、散歩しながらどこか

行きたいのだがと聞かれるが、本当に田舎で何もない・・・としか答えれな

かった。一応『観光地』といっても何もない小瀬の鵜飼。ま、観光地化され

ていないのがお客さんに『情緒がある』と受ける最大の理由であり、また

欠点でもある。何もないにせよ、広島からわざわざ来たという今日のお客

さんに 『いろんなところで鵜飼をみたけどここ小瀬のは本当にいい』 、と

言ってもらえたのは本当にうれしい!ただ、自然条件がよかったから余計

にそう感じていただけたのでしょうね。明日の朝もさらなる感動を与える為

に、夜池の掃除をして寝る。



06 月 30 日(Monday)
 今日は長良川の水位が依然高く、鮎の市場への搬入も少なかったそうで

相場も高く小ぶりの鮎が目立った。昨年は宮内庁より鵜匠就任の辞令を受

けたことがあって、襲名披露?という理由で年間を通じて鮎の品数を一品

増やしていた。今年もよほどの相場の荒れが無い限り、去年の流れで行く

つもりだ。あまりに高い時はできないが・・・昨日、今日は水の状態が悪くて

かなり高騰しました。そんな中でもいい鮎をかなり『勉強』して持って来て

いただける魚田(魚屋)さんにはいつも本当に感謝。

 鵜飼を存続する為に市からの援助金を頂いてはおりますが、鵜匠個人の

懐には日々の生活費、鵜の管理費用は出てこず、ほとんど『鵜の餌代』

のみに消えて行く。だから岐阜の鵜飼屋さんらと違って、鵜匠業を存続して

いく為には少しでもいい鮎を食べていただけるよう料理宿の経営、特に鮎の

ことには熱がかなり入ってしまう。結果、鮎の仕入れに僕が口を出すように

なった頃は魚田さんととても気まずい状態になったりもしました。それで母、

『あんた、鮎持ってきてもらえないよ!』 ・・・実際僕もびくびくもんでした。

 鵜との信頼関係が全く保てず鵜は食欲不振、船頭ともばらばら、そして

背景にある河川環境の悪化で眠れない日が続いていて、加えて良い鮎が

その日入荷出来ないとお金を支払って来ていただいてるお客さんに本当に

申し訳ない気持ちに襲われ、ろくに眠れない毎日だった一昨年・・・

 ただ僕の引くに引けない気持ちを汲んでいただけたのか、鮎に対する熱意

が多少なりとも解かっていただけたのか・・・それは解かりませんが、こんな

甘ちゃんでお坊ちゃまの言う事を、徐々に魚屋さんに聞いていただけるよう

になった。本当に頭が下がる思い。今年も多くの方がみえ、喜ばれて帰って

いかれる姿・・・とにもかくにも『ありがたい』の一言。

 今や時代の一人の権力者に守られる術は無く、多くの人達に助けられて

やっと存続できる小瀬の鵜匠であり、鵜飼である。