†  Diary - 2003/05 -  †

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05 月 01 日(Thursday)
 とうとう5月に入りました。どうだんも花を苔の上に落とし始め、夜は虫が鳴

くようになりました。今日は数ヶ月ぶりに三味線の稽古で、朝から杵屋勝鮎

先生がみえる。大変すばらしい方で僕のお師匠さんです。1昨年前、東京の

国立劇場で家元さんと舞台を共にもされた程のお方です。今日の曲目は『連

獅子』。久しぶりで手がとても動かないので、歌の手ほどきをしてもらうように

お頼みしますと、「良い選択です。」と一言。しかし、歌もむずかしい。抑揚、

強弱、高低、短いのや長い抑揚のフェードアウト・・・・。難しい曲目になってく

ると、歌は面白いが声が出ないし、三味線はとても早くて手と勘所がおぼつ

かない。「この連獅子ができるようになれば面白くなりますよ」とお師匠さん。

「頑張って毎日練習します」と言い続けて早5年・・・。まだまだ努力が足りま

せん、と間接的に言われました。

 昼からは父に急かされ松の剪定に。あと十数本。


05 月 02 日(Friday)
 快晴が続き、日増しに夏の訪れを感じさせます。気分爽快と言いたくも何

かとちまたでは日本各地を移動する『白装束』の連中の報道。こんなことで

岐阜が有名になっても困る。ここは『黒装束』の鵜飼の地・・・。そんな中、夕

暮れ時に我が家にも他県からの訪問客。松本からやって来た旅する女性。

郡上の帰りに探しながらここまで鵜を見に来たと言う。既に餌もやり終え、鵜

も鳥屋籠に入れた後と聞いて残念がったもののちょうど仕事も終えた後だっ

ので少しお話をすると、今度ぜひ友達を連れて見に来たいと言い残し帰られ

ました。女性の一人旅でこんな所まで調べて来るとはめずらしい話だがどこ

か淋しい影の映る方でした。・・・やがて悲しき鵜飼かな・・・有名な芭蕉の句

ですが、ここ小瀬の鵜飼は特に観光というよりも個人的に好まれる方が多い

ようで、ここに招待された方が次回少人数で改めて見えるケースや、ある種

趣に通ずる方、食通など・・・。華やかさよりその裏の静けさを大事にする方

かな?外国、とくにアメリカの人にはわかりにくい部分でしょうが。日本人の

心はいくら生活がアメリカナイズされてもそれは消せれないところか・・・。

日本の歴史という大きな視点からすればその期間はほんのわずかばかり。

高度成長で忘れた文化を今衰退する中、その淋しさが何かと思う。先祖から

おじいちゃんへ。おじいちゃんから・・その後の伝えがない、ことじゃないか。

そんなことを考えていると、鵜飼で鵜が魚を捕まえて喜ばれるのも嬉しいが

それ以上に黙って見ている方、松尾芭蕉のような『何か』を感じる人は羨まし

く思う。それが淋しさだろうが、楽しさだろうが何かしら感じさせれる鵜匠に

なりたいものだ。


05 月 03 日(Saturday)
 餌を控えて鵜もいい体型になってきた。目の色も平和な顔から少し鋭さが

見えるようになってきた。あと1週間。明日は船降ろし。しかし、1年は早いも

のです。

P・S カラスにまたやられる。量が少ない為、半分になってた。ちょっと

    懲らしめなあかん・・・。おかげで鵜の餌の時間がちょいと遅くなった。


05 月 04 日(Sunday)
 今日は船降ろしの日だった。朝から天気も良く、鵜部屋の掃除をし終わる

とちょうどクレーン車がやってきた。手際よく船頭等が次々と船に紐をかけ

川に下ろし、各々の船をタワシで洗って鵜飼開きにそなえました。河原で多く

の観光客らが賑わう中、昼から暑い日ざしの下で若い船頭らが来る日を目

前に船を漕ぐ練習を行っていた。御年配の船頭らが多くて人数も少なくなっ

ていたが、ここ数年若い船頭が見習いに入るようになり賑やかになってきて

大変嬉しく思う。二回りも違う方ばかりだったので、僕はこの若さにしてえらく

年寄りじみた考え方になっていたが、同世代の川好きの人間が入ってきて

少しは若さを出せるようになったかな・・・。しかし一緒に練習船に乗って行き

たくも父と庭掃除を、夜は昨日に引き続鵜飼の手縄の準備をする。


05 月 05 日(Monday)
 真夏日で高山の方は30℃もあったそうだ。朝、韓国とマレーシアの留学生

の子達が帰国する前に一度鵜を見たいということで訪れ、喜んで帰られた。

午後、長い事福井で世話になっていた嫁さんと子供が帰ってきた。 むこうの

両親に送ってきて頂きました。『長いこと有難うございました。』と嫁。『ただい

ま、おとうちゃん!』と息子。 久しぶりに会ったせいか大きくなったように見え

ました。 あまりに嬉しく、『暑いからダメ!』と言う嫁の言葉を押し切り、自分

が着ていたランニングを子供の頭に巻きつけてやり船に乗せ川を一回り。

いっちょまえに船の頭に立って川を眺めていた。。

家に入り、嫁の叔母さんにあたる方に作ってもらったはんてんと烏帽子、そし

て僕がでかした小さな腰蓑を着せてやると喜んで走り回り、写真をかまえると

ご丁寧にも鵜籠の横まで行ってくれる。おかげでみんなの笑顔があふれた。

 夕刻、父が釣り道具を持ってきて息子と一緒に釣りをしてくれ、小さな魚が

5,6匹釣れたいそう喜びました。 川では今日も一日中若い船頭が鵜飼を

前に船を漕ぐ練習に励んでいた。


05 月 06 日(Tuesday)
 今日から庭師が入る。朝のうち晴れていたが次第に曇り空になり、涼しい

風のおかげで庭師達も軽快なリズムでハサミを入れていく。お茶で一服され

ているとじゃぼ(発情期特有の白髪)かけた鵜を見て 『今年は鵜を入れ替え

たのかね?』 毎年見ているのにその見事な様子に見入っておられた。そん

な中、今年どの鵜を通して(鵜飼のシーズン)使おうか、ふと考えた。今24羽

いるが毎日ころころ代えて使っていては、まとまりが無くなる。しかしもちろん

調子の悪い奴が出てきたり、若い鵜も仕入れていかなけりゃいかないし・・・。

難しいです。

 夕方、今日も子供とご飯前と食べた後も川で釣りをした。30匹ほど釣れた

が雑魚ばっかり。もちろん鮎は解禁前なので釣ってはいけないのだが、例年

ならば鮎も少しはかかるのだが今年は全然。ちょっと気がかりだ・・・。鮎の放

流も行っているもののなんといっても天然物の数は圧倒的多数であり、毛ば

りではそれらしか掛かりにくい。サツキマスはけっこう跳ねているし・・鮎も上

って来てないとおかしいのだが。今年の釣り‘占い‘では今の所、期待できな

い。



05 月 07 日(Wednesday)
 朝起きてみると新聞の上にお茶の葉が敷き詰めてあった。どうやら昨日

母と嫁が表の石垣にあるお茶の新芽を摘んだようだ。昔はよくやっていた

そうだが僕の記憶には無い。テレビを見て母が思い立ったのか。いいこと

である。新茶が楽しみだなぁ。

 今日は雨がしとしとと降り止まず、暇を見てホームページを改良する。

前から気になっていた交通案内の画像をやめて一から作り直した。

yaphoo(ヤフー)に登録したいのだがパソコン歴が二ヶ月と未熟な為、日々

改良しているがなかなか・・・。頑張るけれども、まずは鵜飼開きまでにやる

事やってしまわないといけない。あと3日だ。



05 月 08 日(Thursday)
 昨日の雨で長良川がまた増水した。雨ばかり・・・。餌の食べれない頭でっ

かちの鮎がふらついていた、と先輩船頭が言う。水温を見計らって放流した

鮎も急激な温度差と泥水で死んだのもあろうか。天然の遡上鮎との差かな。

顔つき、性格、たくましさ、そして味。

鵜匠、船頭もそう。昔の先輩らからすれば僕なんてなんてあまったれた小僧

が鵜匠をやってるか、とどやされるはず。若いうちから船に乗り込み、昼前

から幾つもの瀬を綱を引いてはのぼり、時には竹の切り口に足を貫かれても

引き続け、先輩船頭が故意に綱を切って転げても文句も言えず、船を漕いで

ても腕の力が張ってきまらなくなると竹竿が後ろから飛んでくる。よほどの体

力に自信のある人間も鵜飼船頭を頼まれると尻込みして断わるくらいのもの

だった。

 まあ、時代が時代だったのだが・・・たった5、60年前のこと。語り継ぐこと

を止めた日本人にはただの昔話になってしまうが、今でもその当時の話を耳

にできる僕は幸せな方だろう。(息子の代には・・・。)
 
 放流の鮎にもごく少数だろうがなかには急流にもまれ、それなりの‘あゆ‘

になることもあるが大半はずっと群れて脂肪はあっても痩せているという変な

‘モノ‘になる。

 中堅の鵜もそんなよったいなものを楽して喰らう癖がついたので、ここぞと

いう時に(大きな鮎やサツキマスを)逃す。それじゃあ、ダメだ。普段見かけ

なくなったものに注意することは難しいが必要だ。東海地震なんかもいつ来

るかわからんが、・・・用意はしとかにゃならん!




05 月 09 日(Friday)
 猫の手を借りたいほどの一日でした。明日もそうなりそうだ。

学生時分、夏休みの後半宿題を仕上げるような窮屈な感じであり、久しく会

わない人と会えるのを待ち焦がれるような・・・。

そんな気持ちの中、昼のNHKで茨城県十王町の沼田さんが出演されてた。

日本で唯一の鵜捕獲許可を持つ方。頑張っておられる様子が映しだされ、

子供が食い入るように見つめるのも見ると、改めて沼田さんが一生懸命獲り

なさった鵜を立派な鵜飼の鵜に育ててやらねば、と深く感じる。

あと2日だ。



05 月 10 日(Saturday)
 掃除の合間に、明日から始まる鵜飼に備えて鵜の羽が伸びていないか

を再度確認。最初は鵜も久しぶりの鵜飼ということがあって万が一逃げた

場合に飛んでいかないよう片方の羽の一部分を切り落とす。

餌をきってあるのでなかなか夜寝付けないようだ。僕も学生時分に6キロ

の減量した時そうだった。次の日わずかな水を飲むことだけしか頭にない。

鵜にとっては明日の鮎だが、その土俵に集中できるだけの魚の数を期待

して明日に備える。道具も万全。しかし天気は雨か。


05 月 11 日(Sunday)
 小瀬鵜飼開幕〜。4、5日前までは天気はもつという予報だったがあいにく

の雨。ただ水量は少し高めで鵜飼にはもってこい。朝鵜を早めに出してやり

8時半から神様の御借りや作り。午前中は天気がもったものの午後からは

やはり雨で、夕方にさしかかると慌しく船頭が準備にとりかかる。家にも神主

さんがみえて今年の鵜飼の無事並びに繁栄を祈る祝詞を受け賜った。

シーズン初めに最も身が引き締まる時間でした。鵜飼の神事までの間、嫁

さんが子供を飴でつって鵜匠のかっこうをさせてしばしお披露目をしていた。

船頭、役員総出で水神様迄行き、神主さんに安全の祈祷をしていただき、

鵜飼開きを迎える。関市親善大使や市外のキャンペーンの方に花を添えら

れ関市市長、フェザーの会長さんを始め多くの方に御出席していただき、最

後に遊船会社の山田社長(刃物会社ヤクセルの社長)による今年の抱負の

言葉をいただきました。「今年は見習いの船頭が4人も増え、お客様をお断り

する事は少なくなると思い・・・」人力の小瀬鵜飼にとってネックだった1つが

解消されました。ありがたや。

 今年は水が高い状態が続き鮎の遡上が遅いのか、少なめでした。しかし

嬉しい事に大きな鯉を2,3匹捕らえてくれてお客様も見ごたえがあったと

お言葉をいただきよろこばれてなによりでした。

 鵜飼終了後は同級生であり仕事上のお付き合いもさせてもらっている藤井

君と、若いながらも求心力をもった新聞記者さん達と酒を交わし、楽しい話を

聞かせてもらいました。まだそんなに世間は明るくはないが、わずかながらも

一歩づつ、何かが動き始めているような気がした。

 


05 月 12 日(Monday)
 鵜に噛まれるのはよくあることですが、今朝籠から鵜を出す時に手の平を

やられた。子供がその血が流れているのを見て何でかと問う。

何事もよく分かるようになってきたし、変に怖がるようになっても困るので「鵜

に噛まれた」とは言わずごまかす。子供はよく見ているしよく憶えてもいる。

1年前やっと片言がしゃべれるようになった頃の話。私がやんちゃな鵜を持ち

その暴れた様子を子供が見ながら、僕が困ってしかめっ面でもしてたので

しょう「ねえ、かわいい?その鵜かわいいでしょ?」それ聞いた時にはっと我

に返った憶えがある。父には昔から鵜に対しては絶対温情主義に徹しないと

いけないと強く言い聞かせられている。もちろん手を出したりした事は無いが

若さと経験の少なさから鵜との対話がままならず、鵜の気持ちとは反する事

つまり自分の思うようにエゴに走り鵜がよく反発していたことがありました。

子供が成熟するまでに、つまりはごまかしがきくうちに何とか‘形‘を作りあげ

れるよう日々勉強する。そのごまかしも子供の目にはよく焼きつくとは思うが

右往左往も大事でしょう。若いから・・・。



05 月 13 日(Tuesday)
 雨が降りそうな雲行きだったが大丈夫でした。今日は鵜飼のお客は5名と

貸切状態で、子供も鵜飼船に乗せて川上の廻し場へ向かう。石の上を裸足

でぴょんぴょんと動き回って手に負えないので、世話焼きに一緒に来てく

れてた船頭のお孫さんとそのおばあさんに連れてってもらった。河原の上

までばたつく息子を脇にかかえて行く。さすがに2歳半では早かったか・・・

嫁が母の手伝いがあるから連れて行ってくれと言ったのだが、しばらくは

勘弁してほしい。

 そろそろ鵜飼の時間で火をつけようとした途端にお客の乗る船から待った

の声。お腹がゆるいからちょっと待っとってくれ、との事。5分程待って鵜を

籠から出すと今度は羽に手縄が絡まり結ぼってしまい、さらに5分。お返しに

お客さんを待たしちゃいました。鵜飼がやっと始まると「きれいな鵜だな〜。

以前他の所で見たとこのはボサボサやったけど・・・」。すかさずお礼を言うと

「聞こえたの?今日は他にお客もないし貸切状態や。ここの鵜飼はええな〜

よっ、十八代目!頑張れ」と励まされ、ホウホウと声も弾む。終わってみると

やはり12,3匹と今年は魚が少ない。鵜飼開きの時、どっかの偉い様が今

年は既に例年になく多くの鮎の遡上が確認・・・とおっしゃってみえたが、本当

?岐阜の先輩鵜匠さんも今年はおらんとおっしゃってたし。

 ただお客さんは喜ばれ、鵜に餌を与えて片付けをするのを見届けると「感

動して満足したから今日はスナックにはいかんぞ。baby(鵜のこと?)達もよく

頑張った。君もheartがあってgood!」と外人さんを連れてるせいかなにかし

ら英語を使う面白い方でした。




05 月 14 日(Wednesday)
 昨年知り合いの人にわけてもらった山百合が知らぬ間にでていた。

実は秋口に、植えた場所の上に父と石垣を作ってしまったが、大きな茎が

うまい具合にその中を通り抜けていくつもの葉をつけていました。そして

違う所に植えたもう一株には球根がなかったので期待はしていなかったけど

何とそこから小さな茎がいっぱいでてきました。やっぱり自然の力は強い。

 昼から岐阜ラジオ放送の中継放送があり、来られたアナウンサーの人から

詳細を聞くと去年『最年少鵜匠デビュー』ということで取り上げていただいた

金ちゃんとさなえさんのコーナーで再び紹介してもらえるとのこと。

打ち合わせ中に嫁さんがコーヒーをもって来てくれたが、きれいな女性の方

だったので変な視線を感じました。終わってからやはり「鼻が伸びてたよ・・・」

けどおかしかったのはそれを聞いた子供が言った事。「おとうちゃん見てくる」

まだ分からないから本当に伸びてると思ったのか、実際伸びてたのか・・・?

ともかくまた小瀬鵜飼を知っていただく機会をくださりありがたいことです。




05 月 15 日(Thursday)
 今日は焦りました。船頭さんが鵜を担って屋敷から河原へと出ようとした時

籠から鵜が飛び出しました。一瞬鵜も自分の状況に驚き立ちすくんでいたが

運良く庭の方へと走って戻って来て一件落着!反対側へ行ってたら今日は

かなりブルーな日となっていたに違いない。

 雨が小降りとなり上流へと向かう景色は幻想的でした。水面と山裾に霧が

濃く漂い、少し前を行くお客の乗った船が提灯の揺らめく火でぼーっと。

幽玄の世界かな・・・。

今日の鵜飼は一流企業さんの接待で使われましたが、またまた鵜船と遊船

が一対一と贅沢なものでした。ただお客さんが喜ばれるも、鵜匠の立場と

してはやりきれないものがあった。くわえてくるのは小さな魚ばかりで・・・。

大きなのを捕ってきて欲しいのではなくて一生懸命探しても見つかる魚の

ほとんどが2,3センチ。食を減らしてそんなのしか口にできない今日の川。

鵜も相当のストレスになるだろう。そんな川に誰がした。それを思うと行き場の

ない怒りがこみ上げてくる。今年は御料の日以外は鵜の首結いはゆるくして

食わせてあげない事には観光としても鵜飼の鵜としても成り立たない。

それ以上にしてもらわなければならないのは、川の口を開けてもらうことなの

だけれど・・・・・。とても悔しい。


05 月 16 日(Friday)
 暖かくも風が吹いて過ごしやすい一日でした。しばらくお食事のお客さんは

あっても鵜飼が無いので鵜とともに一休みができる。来週は鵜の見学に多数

の方がみえるので、父と庭仕事に精をだす。合間をぬってパソコン健ちゃん

(僕の心強い先生)に来てもらい、教えを乞うと 「もうすぐ僕も追いつかれる

かも・・・。密かに1000人目を狙っている。」・・・なんて嬉しい事を言ってくれま

した。ありがとうございます。

 夕方の空気が夏のにおいに変わり始めて、ついビールに手がいく・・・。

川では今日も若い船頭らが練習に励む。




05 月 17 日(Saturday)
 今日は東京から多数のお客さんが来店。予報は外れ雨も降らず、長良川

の夕焼け空にお客さんもご満悦。

今日は鵜飼船一艘。先輩鵜匠岩佐さんの番でしたので、鮎雑炊ができる

まで鵜に餌を与えながら説明させてもらう。坊と橋の上から見送ると、うちは

鵜飼がなかったので2人で鵜飼船に乗って上流へと散歩。暗くなるまで河原

で相手をする。

鵜飼が終わって帰るなり 「とてもいい鵜飼だった。東京から連れられて来た

甲斐がありました。」 とお手伝いさんの所へお客さん。・・・ついでに寝る前に

ビールともう1匹ずつ鮎の塩焼きを食べたいとおっしゃる。

たしかに今日はいい鮎だった。おまけに高くて儲けはあまりなかったが、本当

の鮎を知ってお客さんが喜んでくれるのは一番有難いことだ。





05 月 18 日(Sunday)
 今日は朝7時半から地元消防団の仕事である消火器の詰め替え作業。

1時間程前に起きて鵜を起こし、鳥屋の掃除を済ませておく。

ところで、夜中の3時過ぎに震度3くらいの地震があったらしい。僕は気付か

なかったが、夢ではそれらしいものを見た。空に目が3つ程あって気味が悪く

て「地震でもありそうだ」と夢の中で言ってたし、朝起きると下半身のパジャマ

もパンツも脱いであったの(笑)。起きなくても、体では恐怖を感じたんだな・・

と嫁さんに言うと、「普通は脱がないでしょ・・・」と冷たくあしらわれた。

 小瀬中の消火器の詰め替えは昼の2時までかかった。今日は疲れて子供

と一緒に寝ました。

 P・S 田んぼで大合唱していたカエルの声を真似したり、昔話をしていたら

僕のほうがどうやら先に寝てしまったらしく、嫁さんが入って来た時には子供

が僕の顔をいじくりながら「さみしいなー」とぼやいていたそうな。

・・・ごめんなさい。


05 月 19 日(Monday)
 今日朝寝坊をしてしまい、鵜を早く出さなきゃーと準備してるところにお客

さんが見える。ある有名番組の若いディレクターさんで、イチローそっくり。

観光化されていない小瀬鵜飼に魅力を感じてやって来たとのこと。

ある人が『ふぉっ、ふぉっ・・・?』とやって来られるようだ。まだ本決まりでは

ないが、小瀬鵜飼を知っていただくいい機会になればありがたい。鵜飼船に

乗せてもらえないかとも言われたが、僕はまだ未熟者なのでお断り。

せっかく大きなTVで取り上げていただけるなら、熟年の先輩鵜匠さんに。

数年前に若手の「V?」の1人が来て鵜飼をさせる、という話が来た時は

丁寧にお断りした。知ってもらいたいものの、真面目にやってておもちゃにさ

れちゃあ困る。変に勘違いされても困るし。後から「古い。もったいない。かっ

こうつけて・・・」と嫁さんにこっぴどく怒られ・・・たことを思い出した。

 





05 月 20 日(Tuesday)
 今日はすべての鵜がたくさん鮎を捕らえた、というか捕りづくめでお客は

もちろんのこと、うちの船頭らも満足して気持ちのいい鵜飼でした。

昨日下見にみえたお客さんが、急きょ千葉から娘が来たのでと訪れるも

今日は他の予約を取ってないので食事はお断りし鵜飼の見物に。

初めて小瀬の鵜飼を見にはるばる来られたことと、業者の撮影も入ってい

たから余計に力も入る。上流に行って焚き火を囲みながら娘さんと写真を

一緒に撮る。船頭も娘さんとあって、いつになく優しく、自分の半天とはちまき

を着けさせていた。

 気合が入りすぎたか、いざ出掛けようとすると鵜匠が身にまとう一つの「胸

当て」を忘れているのに気付き、お客さんに携帯電話を借りて嫁さんに持って

きてもらう。かがりに火をつけ鵜もだして、いざ・・・ 今度はお客の船が石に

乗りあげて動かない始末。何かとせわしない始まりに嫌な予感がしたがそれ

とは裏腹に鵜は次から次へと稚鮎をくわえて100匹程捕った。やはり昔のよう

に鵜飼の場が鵜にとって食を得る場でもなければダメみたいだ。小さな鮎で

も今一匹あたり五、六百円するのでもったいないが、魚が少なくなった今日

の長良川でお客様に魅せるにはこうするしかない。鵜も我々もお客さんもお

互いに『しらけない』ためには・・・、そして何より気持ちがいいしね。真顔でお

客さんに 『よかったわー・・・』 と言われて鵜に頬を寄せたい気持ちだった

が、血を見ることになるので止めました(笑)。







05 月 21 日(Wednesday)
 朝10時過ぎに瀬尻小学校の親子さんが30人程見学にみえました。

小瀬周辺の見学会だろうか、15分くらい立ち寄るのでと少し説明を頼まれ

ていました。多くの子が興味深く見入り、鋭い質問をかます子もいて楽しかっ

たが親も子もそろって興味なくくつろぐのも少し見られたのが残念。

 近年よく学校から説明をお願いされるが、教育理念や教養のある先生は

(最近は若い女性の先生がしっかりしてみえる。もちろんそういう学校は上司

の目がとどいているよう) その生徒さんもまずしっかりしている。そういう

先生は自分も子供に負けないくらいの知識欲があるので子供達もそれに

順じ、僕に負けないくらいの知識をぶらさげてやってくる。だからこちらも自然

と話す事が多くなるんだけど逆に学校から「総合学習」という看板だけを掲げ

て電話で「お願いします」の先生が教える生徒はあまりに「素」すぎて質問も

ないので、ありきたりの鵜飼説明となり子供にとってはつまらんものに・・・。

だって先生や親でさえ知ってるのと聞きくなる。自分達も学ばないことを子供

に教えてやってというのはどうやろ・・・といつも思う。

明日も小金田から生徒さんが見えるが、それ以降はなるべく親子さんでお願

いするつもり。その方が若い親さんの教養も増え、いろんな話もできる。

  子供より先に親、先生が知らねばならない。





05 月 22 日(Thursday)
 毎朝子供と一緒に犬の散歩をするのを楽しみにしてるのに今日は「嫌」の

一点張り。しょうがないのでメルだけ連れて川沿いを散歩する。暑さに押され

メルは時々川に入って涼んでいた。

 しかし長良川の水位のここ数年の急激な下がり様は異常です。山の保水

能力がかなり落ちているみたいで、とても気がかり・・・。

 家に帰り、子供が箱に入った砂場(昨日の夕方、河原で取ってきた。)で

夢中になって遊んでいるのを眺めていると、俳句の会の方が下見にみえる。

「明後日来させてもらうのですが、下見しがてら旦那にも見せたくて」・・・・・

どうやら明後日の件は旦那さんはおあずけらしい。

午後からは暑い中を自転車に乗って小金田の学生さんらが来た。先生も

子供と一緒になって質問してはまじまじと僕の説明に耳をかたむけてくれまし

た。若い女の先生だがしっかりしていると思っていると、終わってからその方

が僕の高校の同級生だと知りびっくり!嬉しくも恥かしくもあった。

 夜は鵜達もせっせと魚を咥えては都会からの接待客に拍手を受ける。

今年は何やら一流企業のぉ偉い様の接待から御家族に至るまで新規の

お客さんが多い。SARSの影響だろうか。心配もあるが・・・





05 月 23 日(Friday)
 朝、川沿いを歩いているとメル(うちのラブラドール犬)が地面をクンクンし

て興奮している。いっちょ前にハサミを広げて威嚇する・・・小さなクワガタだ。

子供はじいさんとでかけていたので、虫籠の中にスイカと一緒に入れておく。

 鵜部屋の掃除を済ませてから鵜の庭にある松の剪定を始める。これが最

後の1本でした。大きなハシゴに登ってチョキ、チョキ・鵜も最初は気になって

いたけど次第に慣れて、暑さを飛ばすかのように羽を打っては水しぶきを上

げるのや、むべの木の棚下で涼しげに休むもの。今日はお客さんも無いの

で3時頃インターネットで楽しいシロクマさんのリゾート見聞録を拝見す。僕の

HPも張っていただいている方で、なかなか鋭くも面白い意見の持ち主。

 その後、CBCのディレクターさんがみえて取材の打ち合わせ。いろんな話

題で盛り上がり1時間余り談話する。若い女性でしたが、父の影響らしく花や

木の事に精通したお方でした。

 夜、嫁さんと子を連れて買い物に行った帰りに雷が鳴り始める。最初のうち

は「おっ、光った!」とはしゃいでいるものの、次第に激しくなってちょっと怖い

様子。「雷さんが太鼓たたいてどん、どこ、どん・・・雨降れ、カエルがゲーロ、

ゲーロ、ゲロッ・・・」 一緒に歌って気を紛らわすが、家に着いて母屋の裏の

空に走る稲光に、遅れてどどーんという大きな音を聞くと石畳の上を足早に

駆けて行く。





05 月 24 日(Saturday)
 次から次へと忙しい日だった。朝8時にCCNの市橋さんがカメラマンと共に

登場!午前中はいつものリズムに撮影が入るだけのものでしたが、途中に

他の局の方が明日の撮影の段取りを夕方下見がてらに来たいと・・・。昼過

ぎに少し休んでおこうと思った矢先に鵜飼写真家の古田さんが来られた。

おみやげまで頂きいっしょに父とお話させてもらっていますと、取材の方も

後から加わり鵜飼の談話で盛り上がる。

夕方は鵜の準備を済ませてから、鵜飼船頭に遊船船頭、関係者の方達に、

段取りのお願いに走り回る。さらに明日の別撮影スタッフも到着したので

方々に気を使って回って・・・もうーくたびれました。ただ、こんな田舎の鵜飼

を取り上げていただけるのは本当に嬉しい事。お願いして来てもらえるわけ

じゃーありませんからねっ。

 鵜飼の撮影もうまく撮れたみたいでCCNさんも喜ばれて良かった。庭に

戻って他の鵜に餌をやり、池に放つ。

その様子を見ていらした東京からホームページを見て来られたという若い

カップルの方とお話して、初めて見たその感想を聞いて顔もゆるみっ放し。

僕と同じ年の方が小瀬鵜飼の雰囲気を感性豊かに感じとってもらえて

本当に嬉しかったです。お客様とお話した後、CCNさんをお見送りしてから

待っていただいてた、明日の『さんまのからくりTV』のスタッフさんと打ち合

わせ。結局先輩の岩佐鵜匠さんからもバトンを渡されて、明日の鵜飼に

タレントがうちの船に乗ることに。僕は自分でいっぱいいっぱいだろうし

あまりに真面目な鵜飼の雰囲気に、そんなバラエティあうかなーとかなり

心配。うちの船頭に改めてその話をすると・・・・・「俺さんま嫌いやもん」と

しかめっ面だったが、なんとか了承を得る。とりあえずディレクターさんを

紹介してお話するうちに彼等も打ち解けてやる気になったし、あとは無事に

終わるのを祈るのみ。たけしの万物創世記以来の全国区の放送となるけど

バラエティーと小難しい田舎の鵜飼は成立するのか、みんな黙りこくって

しまうんじゃないか?・・・2人のディレクターさんはいたって『大丈夫』・・・

小心者の僕はかなり不安な夜を過ごすことにします。あー怖い。





05 月 25 日(Sunday)
  今日も撮影があり、加藤淳?さんというちょっと変わった方がみえました。

多少はその番組を拝見したこともあり、自然にやってもらえばいいと言われ

るものの逆に難しくて困った。途中、今日のお客さんである俳句の御一行も

大人数で遅れて到着。そんな風情を楽しまれる方達に変なものはお見せ

できないのでタレントさんに鵜匠のかっこうをするのは控えてもらうことに。

夕方、になると魚焼きやら鵜飼の準備にスタッフとのやりとりでピリピリし始め

酒も入れなきゃやってられない。予定と段取りも違い、撮影の動きに船頭も

少し神経質になるが女性のディレクターだったので丸く収まる。(鵜飼後には

タレントさんを前にしてその女性とだけ写真をとっていました・・・)

風が強く、かがりの炎は火の粉と共に尾をひいた。後ろで1羽の鵜を持たせ

て鵜飼を行う。その間僕は1,2度声をかけるくらいしか余裕なし。スタッフが

声をかけるものの加藤さんは鵜飼船の緊張した雰囲気を感じたでしょう。船

の中と外のずれを。あるいは火の粉と煙にまみれて撮影どころじゃないか。

無事終了。お客さんにご迷惑もあったと思い、鵜の庭で鵜飼の説明をゆっ

くりさせてもらいました後に、まだ天皇陛下にも献上していない鵜が捕った鮎

を吟味して食べてもらう。失礼だがちょっと抜けた感じのする人であったが

本当に腰の低いわきまえた方でした。

 どんなものに仕上がるのか心配だけど、楽しみでもある。まだいつ放送す

るのかわからないが近いうちに連絡をしていただけるとのこと。

鵜には大変迷惑をかけた一日でした。


05 月 26 日(Monday)
朝から雨のしとしとと降る一日。そんな中、庭で俳句をやられる方達の姿。

子供と川へ散歩にでかけると浅瀬で鮎がぴょんぴょん飛び跳ねているのを

目にし、橋の上から一緒に眺める。二つ三つの群れに分かれて上から順に

橋の下を下がって行く。ものすごい数で一面真っ黒。大きな群れでは1000匹

ほどいるだろう。一気に下がって行く。

 鵜飼始めの数日は鮎がいなくて心配だったけどウグイも1週間前には近く

に着いていたそうだし、まずは安心。・・・ただ例年と比べてかなり遅かった。

 帰りにかたつむりを見つけて子供に見せては喜ぶものの、とかげを捕まえ

最初はめずらしそうに見てたが、しっぽをつまんで顔の前でぶらぶらさせると

泣きながら帰って行ってしまった。ちょっとしつこかったかな・・・。





05 月 27 日(Tuesday)
 朝河原を歩いていると川鵜の群れが降りてきた。十年前までは見なかった

のに今や郡上まで飛んで行くそうだ。それだけ下流域に魚がいなくなったの

か、増えたのか。川鵜も生きる為にはるばるやってくるのだろうが、こちらも

生活が懸かっているので漁協の人にもらったロケット花火で追っ払うと、旋回

してさらに上流へと飛んで行った。

 今夜も撮影があったのだがディレクターさんに電話で一つ頼まれ事を受

ける。 『昔の、歴史を感じさせる写真を何枚か用意して欲しい。』

しまってあった場所を思い出すのに苦労してやっと見つけました。白黒写真

のアルバム・・・大正時代から昭和にかけてのもので、鵜舟に帆掛けの用意

をするふんどし姿の船頭からこの辺りが萱葺きの屋根の頃の稚児行列を

する様子、優雅な着物をまといきりりとした女学生の頃の祖母の写真、

戦地に近衛兵として赴く若かりし祖父・・・どちらかというと軍服姿の戦争色

の濃いものが多かった。今年の2月頃にも掃除をしてたら軍事郵便が数百

枚でてきて、読んでいるうちに『戦死した父のお父さん』の今では考えられ

ないような我が子に対する教育理念、心の深さ、そして現地での人の生き

死になどを知り今の自分達がいかに無知で、学んだ歴史がいかに薄っぺら

なものだったと改めて思う。テストの為だけという浅はかなものだったと。

小泉主相の靖国参拝。遺族会に対するものであるない関わらず、なんで

ああも問題になることをするのかと思っていた。でも、僕が少し紐解いただけ

でも思うのは、歴史を垣間見た人間なら当然だろうということ。まして自分

の先祖の筆や写真を胸に抱く人なら。ただ、宗教や政治、過激な団体が絡

むから若い世代に伝わりにくい・・・。

時に『日の●』。いつの頃からあるのか皆様はご存知なのでしょうか・・・・。


05 月 28 日(Wednesday)
 今年は鵜がよく潜り魚を捕らえる・・・というより去年までがあまりにも鵜の

仕込み方が悪かったとつくずく思う。鵜というのは腹を空かせた状態で猟を

行うのだが、信頼関係ができていないと魚を捕らない。見習中の不出来に

周りからの言葉に踊らされて自分のやり方を無くし、鵜にも線を引かれた。

何が悪いか検討もつかず鵜の扱い方を日に日に変えては怒らせ、餌を減ら

しても食が戻らない日の毎日で・・・かなり滅入りました。当時は家の中でも

嫌なことが多く、それに加えて毎日僕1人と24羽の鵜達とのギクシャク・・・

恥ずかしながらどこか異国の地へ行ってしまいたいと心底思いました。

だけどもう僕1人の手にかかった以上は退いた父にも扱えない。そんなわけ

でかなり憂鬱で精神状態も最悪でした。

 うまいもんをおいしく食わせ、ほどよく触ってやり、きつい仕事を少しでも楽

しくやらせるよう工夫。僕の鵜にかかる間接的な仕事時間も出費も増えて忙

しくなったけれど、気持ちに余裕と自信が出てきだした。

今までは嫌がることを馴らす努力をしていただけでした・・・。



 


05 月 29 日(Thursday)
 最近夜が寒い。もう少し暖かくなれば蛍も飛ぶようになるだろう。庭の隅で

百合やほたるぶくろの花が咲いた。

 1時頃暑くなったので鵜を籠に入れて母屋の軒下の涼しい所へと運んで

いると30年程前に来たという女性が2人。昔の建物や周りの風景をなつかし

く思い出しながらお話をする。旦那さんが鮎釣りに来て立ち寄ったそう。

鉢植えの岩たばこや山野草にとても感激されていた。そんな話しの中、川が

悪くなった理由は山の木々の減少だということに触れると、その方も言葉が

強くなる。山野草の鑑賞興味もあって山によく行かれるそうで、岐阜県の

御偉い様が山のてっぺんに自然の木々を切り崩してまで作った夏つばきの

庭の話である。その山沿いは季節を告げる寿草が一面咲いていたものの

道路が作られてしまったという。本当に草木を愛でる心を持った人ならそんな

ものは作らないであろうと。おまけにそこに注がれるのは税金だ。これからの

時代はそんな上っ面 『自然を愛してます』 は通じないだろうという話。

意気投合するも実際岐阜県の地域性からすれば、各地方で新しい風の起こ

る中で岐阜が変わるのはケツから数えた方が早い順になる・・・と。

 急におじゃまして話にまでつきあってもらいお礼を言われたが、こちらこそ

ありがとうございました。ごもっともな話であり、僕も同じ気持ちでした。



05 月 30 日(Friday)
 朝のうちは涼しい風が家の中を吹きぬける。明日はまず雨降りというので

中庭にある紫陽花の株を表の庭へと移植する。昼からは日差しと強い風に

茎がしおれるが夜には戻っていた。

 今日は愛知県や岐阜市からの下見のお客さんがみえる。小瀬は風情が

あっていいし鵜飼も料理もいいと知人に勧められたと。うれしくもここは天候

に左右されやすく少し雨が降り続くとできませんよと口添えしましたが、中止

になっても是非来たいとおっしゃる。ありがたやー。

 今日は親子鵜飼なので小さな子供さんを連れて多くの家族が楽しみにして

いた。強風も収まって良かった。強い炎と船頭の船べりを叩く音で、目の前の

船に乗る幼い子が始終泣き通しでした。終わってから船頭が子供らに鵜を

触らせてやり喜ぶ。鵜を担って屋敷に戻る途中、子供達と写真。ただ、親子

さんにとって何かしら頭の中の記憶として残る鵜飼や思い出であればいい。

しかし、今日の鵜飼を最も強く焼き付けているのは例の泣いた子供かな・・。

恐怖とか驚き、美しさは強烈な印象を植え付ける。子供は感性が豊かもの

だし、小さな頃にそういったものを見させようとする親も又豊かなのでしょう。



05 月 31 日(Saturday)
  嫁さんが仕事の手伝いで遅くなるので先に子供と寝床へ。知らぬ間に寝

入ってしまう。

 この日のお客さんはとても運が良かった。台風で欠航かと踏んでいたが、

水も出ず、風も止み、雨も降らなかった。夕方乗船前と鵜飼が終わると同時

に激しい雨が降ったので、誰か日頃の行いがいいのだろうと言うとお客さん

が 『はーい、私でしょう。』 と笑かす。

 台風のまき返しによる、いつもと逆の追い風でかがり火が進む方向になび

いた。天候が不順だったので鵜飼船を増やし、一対一で狩下る。皆さんも

お喜びでした。

 昨年から御ひいきしてもらっている豊田からの御家族も来られた。個性的

な若い息子さんだったのではっきり憶えていて、今日放映したTVも見ていら

したそうでした。僕より少し年上の方のようでしたが、海外で建設の現場監督

をこなすという立派な方。国内どころか海外へ出かけることができない僕に

とって羨ましく思うたが、話を聞くとやはり大変なお仕事のようでした。中庭で

司馬遼太郎の難しそうな本を読んでらして、話を聞くうちに少し興味が湧く。

だけれどこの手の本は歴史背景の説明が長いので僕はいつも冒頭の部分

でダウン。他の面白いものをすすめてもらいました。