†  Diary - 2004/02 -  †

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02 月 01 日(Sunday)
  いつの間にやら年が暮れ、めでたい正月はいつのこと?もう新年の一月

は過ぎ去り、今日は2月の日曜日だ。この月は半端で嫌いだ。それをどこか

へ追っ払へ〜!とばかりの節分とゆう素敵な行事もある。ただこの月は毎年

鬼を欺くインフルエンザが流行るわけだが、今年は更に鳥インフルエンザの

底知れぬ脅威もあってあのSARSでさえ鳴りを潜める?ところでどこの医者

もちゃんと見分けがつくんやろーか。

  日曜だし誰か来るかもしれないと急いで鵜部屋の掃除してると予感的中。

アメリカへ2年間赴任してた友達が帰郷したと夫婦で訪れてくれたのだ。彼

は初期のHP(RX7.8)製作を手がけてくれて、日本を去るギリギリまで面倒

みてくれた、そしてぐっとヒゲ濃い・・・いや失礼、自主制作にぐいっと引き込

んでくれた人物だ。産み落とされて即刻崖下に落とされた気分もしたが?!!!

おかげで様々な人達と出会えることが出来ましたわ(笑)。

  きくちよさんにいただきますっ!と心で唱え、仏壇に寝かしてあった神亀

の栓を抜かせてもらい帰郷の祝い酒とす。昼間っから酒飲みやがって〜と

御先祖様に叱られそうでしたがたまにはいいでしょう?嬉しい友の帰郷だ。

その後ちゃんと松割りも、『狙い』は狂えどやりました。。。

 


02 月 02 日(Monday)
  朝から久しぶりの雨が降り続いている。こんな早からとは予想しておらず

割った松はすっかり濡れてしまっている。まぁ、芯に残った水分を吸い出して

くれようが・・・何週間ぶりの雨だろう。降るならもっとじゃんじゃん降って川を

一掃しとくれよと言いたい。カラスどもが庭の木々を揺らし、まだ若い2匹の

子鳩が木々の下を啄ばみながら歩いてる窓の外・・・。

  久しぶりといえば紙面において再び新市合併のニュースが、年を新たに

続々と。この不景気のなかに降って沸いた『合併』によって町の色は如何に

映る?地域ごとにそれなりの賛否両論でごったがえしているところもあれば

だが、今の日本の沈没寸前とゆうか危機的状態を見てるともっと何かしら

違う意図があるようにも思えてならーん?

  ただ・・・市名のみに関しては国の意図から離れ、大きな町は政治的要素

に煽られ、一方小さな町は思いが膨らんだりしてるわけだがどちらかとゆうと

小さな町やら郡のほうが古くからある名であったりする。長良川の名称由来

にしても流域によって(時代によって)様々でした。上保川、藍見川、郡上川

など。書籍によると武芸川なんていまの武儀川の正確な名称であるらしいし

それらのことを踏まえると比較的古い町村は川から名をもらっているようで

逆に新しい大きな町は川の名を変えてきたようである。

  人が多けりゃ当然そうなる理屈だが、その土地や川と共存してきた歴史

背景は心から消せないものだろうこと。後世それを表す短歌や俳句にのみ

強く残ってゆく。僕の屁理屈は過去レスに臭〜く・・・。

  淋しく見える景色のなかにも何かしらの行動を目にしたいものです。もう

大きなものに巻かれて行動する時代でないと、リアルタイム歴史投影機が

(テレビ or・・)言ってな〜い?


  でも僕って宮内庁式部職の・・・苦笑なんですな。。。


02 月 03 日(Tuesday)
  『昔は鵜に餌をやる際にバケツに手〜突っ込むと魚の脂分含んだ水が

付くもんやからな、やり終えた後にその手で再び鵜を持つと毛艶が悪なる

からと自分の体で拭い、更にその手では直接羽を触らぬよう腕で抱えるよう

にして持つなどの細心の注意を払った。』 と父は言う。だから餌を与える時

に魚の尾っぽをつまんで水にドボンと入れ、そのまま口ん中へ入れるとゆう

やり方が主流となるんかなーと再認識したのは数日前のこと。聞いたもん

だから片手を添えるようにやってみると、これまたやりにくいったらありゃー

しない。若い血の気のある奴ならばいつもと違〜う!ともがき暴れるしと。

追い込まれたボクサーが放つ見えない幻の1発らしきものを、両手の暗闇に

垣間見たので止めました。首をくるんとひるがえし一瞬のうちに両腕をかい

潜って顔面に到達する様はジョフレの閃光右アッパーの如し?一昨年前の

流血事件と今年の正月の記憶がそれを回避してくれた。

  夕刻。今日は節分の日。夕飯前に表からヒイラギの枝を数本切っては

そこにイワシの頭を通し、短冊に鬼の顔と13月云々記して家の玄関先に立

てると夕食後に坊主と豆携えて家中を一周。終わって家族皆で豆を握れば

珍しいことに母と妻の女二人が齢ちょうどの数。二人して丁寧に薄紙で包み

明日道の角に置いてくるとか。福来るか〜?。もはや鬼はいないはずだが

坊主が狂って豆撒き散らしており、既に新たな鬼が出来上がっていた・・・。

  明日は立春といえどもまたしばらく寒くなりそうです。



02 月 04 日(Wednesday)
  昨夜遅くには見られた庭の雪も朝にはとうに溶けてしまっていた。まさに

隣の爺さん言うところの”わらじの高さまで”でした。

  先日遠方の知らぬ人からその方の父の養生目的に『足半』 を譲ってくれ

との電話を受けた。(注:昔から川漁師が愛用する足半分の大きさのわらじ

で鵜飼屋の使用するものは更に小さく、足先のみの三角形の形。あしなか)

まだ今年は作り始めていないのでどうしようかと考えてると、今朝がた丁度

カネモの船頭Kさんが訪れてくれた。来週から腰蓑と足半を作り始めるから

一緒に家で作ろうと、今年も声をかけてくれました。僕としても作業しながら

昔の鵜飼やら餌飼の話を聞けるので大変有難いことである。

  昼には写真家の古田さんが来訪。僕は鵜部屋の中でゴシゴシ掃除中で

一方父はとゆうと納屋の改築作業中でガンガンやっており、一人古田さん

庭で鵜が羽を広げる様を時折雲間から覗く日の光に合わせてカシャカシャ

やっておられた。

  休憩時に皆でお茶を飲んでいると父が懐かしい昔の写真の箱をどこから

となく引っ張り出して来た。生前の白黒やら色褪せたセピア色のもの・・・。

知らぬ時代のものさえも懐かしく感じられた。今生きる時間はゆっくりと感じ

るのに過去から繋がる写真を見れば、走ってきた或いは走らされたスピード

に驚いてしまう。。。もうすぐ30やで。

  中庭は白の梅の木。

ぷるんとしたつぼみもこの寒さに驚いちょる。    立春やで〜・・・


02 月 05 日(Thursday)
  いつもより早く鵜を起こし庭へ追いやるとまだ眠そうな感じ。半分はまだ

首を体に埋めており、どうやら二度寝の態勢に入ったらしい。

  昼食後。僕達は猛吹雪の山へと突入して行った。妻と坊、そしてメルを

乗せて乗鞍に向かっていた。(残念ながら暴れん坊のチビは居残り。)

  清見辺りは猛吹雪であり、たまに視界がなくなるほどである。前の車の

ランプが見えるかどうかで、自分達だけが取り残された気分になる。だが

そのテールランプも脇に逸れ、ハザードに変わる。『お先にどうぞ〜!』の

合図だ。全く嬉しくもなんともない。なぬっ、と思いながらも先陣をとる。俺

が行かねば誰が行く?って誰でも行くっちゅうの。まっこと大変なのは自衛

隊先遣隊やっちゅうの。

  しかし山上は凄い雪の量だ。裾を流れる川には大量の融雪剤が流れる

んやろな〜。環境に優しいものが開発されたと聞きますから早めに変えて

下さいなー、お役人さん。。。再び驚くのは高山市内のビル風景。もちろん

観光地だからやろうが僕らの町の関市がとてもエコチック?に見えてくる。

飛騨川が最近汚くなった理由もこうした背景があるんやろか。大雪による

影響で大幅に時間がかかり、旅行なのにつまらんことを考えながら5時頃

到着した。数年前にもお邪魔したペンション『陽だまり』である。

  このような天候にも数組のお客様がみえていた。鍵をもらい部屋に入ろ

うとするとドスの効いた大阪弁で子を叱る声が館内に響き渡った。妻が怖い

ね〜と言い寄った。間もなく夕食。先ほどの声の主と思える方の一家を横

に素敵なディナーの始まりだ。実においしい・・・のだが、食事中うちの坊主

はどこか閉まりが悪く?いただきます・おいしい・ごちそうさまを見事に破裂

音で表現しておりとっても気まずい感じ(汗)。周りは聞こえているのか黙殺

しているのか・・・坊の真横に座る大阪一家の子供の一人がツッコミのような

鋭い目線を投げかけた。とても冷ややかな眼差しだ・・・。

  既に食べ終わったメルは机下で鴨の朴葉焼きの匂いによだれが出て止

まない。後ろの埼玉からお越しの夫婦に聞くと今までいろんなペンションに

泊まったが食事もここが最高だし最近はここばかりだとか。なるほど×2。

ついついビールを飲んで熱燗も飲みだしてしまった。そして知らぬ間に気分

もほんわか良くなって隣の怖そうな大阪人と話すようになり”阪神タイガース

論”となった。岸和田在住だと知りその気性に納得。

話すと結構いい人だったりもする。

  そして今度は坊主がその方の子供ら3人とうち溶け、更にはメルまでが

同じラブラドール犬だったので、お互いの夫婦の知らぬ間に2匹4人がその

一家の部屋でわいわいワンワン遊んでいた。

  僕はとゆうとわずかな酒に呑まれてしまい、9時前には爆睡となった・・・



02 月 06 日(Friday)
  喉の渇きで目覚めることしばしば。これほど夜明けを遅く感じることは久し

ぶりのこと。そりゃ9時前に寝てしまったんだから。夜中の誰もいないロビー

で喉の渇きを潤し一服してると窓の外に広がる静寂な銀世界。夜明け近く

になれば無風の上天気が匂ってきて、さらに眠れなくもなるわいなー。

  再び目覚めりゃ窓の外には既に岸和田一家の姿が。テレビ漫画の音量

をちょいと上げれば期待通りにムクッと起き上がる坊主。寝起きだろうが窓

の外見りゃ慌てて着替えてメルと共に階下へ。だが朝食の時間とのことで

扉を前にして一時おあずけとあいなりました。



  今日も朝からダイニングでパスン、パスンと締まりの悪い坊主に呆れる。

食事を終えて浦和やら他県からお越しの方達としばらく談話していざ!!

  建物前の広大なドッグラン。一面粉雪に覆われており見渡す乗鞍の山

の雪景色にもうっとり。な〜んかこんな所で遊ばせてもらうのはもったいな

い気がするなか、メルは昨晩からの相棒ミルク・キシワドッグと駆け回り、

うちの坊主はその子供らと這いずり回っていました(笑・・・本当に)。

手で固めることが出来ない、またソリに乗ってカーブを曲がり切れず何度

と頭から突っ込んで顔中化粧したように真っ白になっても痛くはないその

粉雪の感触を存分に体験したことでしょう。。。しかしソリに二人を乗せて

何往復したことだろう。空気が薄いせいもあってかクタクタにへばった。

わしゃ〜ロッキー・バルボアやないって・・・。



  帰り際その一家に一緒にスキー場へいかがかと誘われたが早めに帰ら

ないといけないのでとお断りする。

『あ〜、せやせや、アヒルがおるとか言ってましたもんね。大変ですなー。』

はーそうなんです。生き物はね〜・・・って、鵜ーやっちゅうの(苦笑)。

しかしメルも坊主も本当によく遊んでもらいましてありがとうございました。

  楽しかったぶん帰りの風は淋しく冷たい。川の水も凍っていた。

  帰りの道中。郡上辺りまでは吹雪いておるものの美並を過ぎれば雪など

ほとんど見当たらず、全くの上天気である。家に着けば急いで鵜を出して

ホースで羽を洗ってやると、もはや狭くなった日当たりに追いこみ羽を乾か

してやる。



 



02 月 07 日(Saturday)
  朝起きて窓の外に目をやればびっくり。夜遅くにごうごうと風が唸ってた

のは知ってたけれど、まさか再び積もっているとは。今年は暖冬だと聞い

てたけど。夏場もひどく涼しかったが昨年末から確かにおかしな天候が続

いてる。晩夏?初秋?にゃ晩秋のような寒さが続き、かと思えば暖かすぎる

秋でしてパッとしない紅葉、狂い咲きの嵐・・・。冷夏なら暖冬だと聞き、確か

に初冬は暖かかったが春を目前にして寒さが続く始末。昔の言葉じゃ寒の

戻りだが現代にしちゃーちょいと変な気候やて。

  来週の舞台?に向けて三味線の『合わせ』を家で行うことになっており、

足のないN氏を迎えに千鳥橋付近へ。すると長良川はまた度エライ護岸

工事を行っているではありませんか。N爺さんも車に乗るなり吐き捨てた。

『こんな大規模な河川改修、本当に必要なんかなー。また川が変わり魚の

棲家が減ったな・・・。』

  確かに。だが行政の掲げる『安全』のためには仕方あるまいか。

ただ昭和の中頃まではあったんだよな。川との共生が。人が普通に生きる

ために山の枯れ木を”掃除”し新たな緑が芽吹く。川の護岸のために伐採

木で囲いを作り荒石を込めりゃ魚の棲家となる。また川は子供らの絶好な

遊び場であり遊び道具は石だから、渇水時もピカピカの石。人間の営みが

自然な共生サイクルを作ってたんですね。

  子供の頃習った生物のピラミッドの頂点に君臨した人間は一昔前までの

話でして、今は脱退して経済っちゅう金との共生サイクルに入ってますわ。

一番大事な自然への畏れがもはや無いのがあかんて。。。信仰とも言う?

  稽古が終わってからお送りする車中も古代日本の宗教のことなども聞く

といろんな詳しい話をしてもらえた。

  齢90の爺様。年寄りの話は本当に興味深く、世間に出回る著名な学者

以上のことが聞ける。柳田國男のよう人物がもっと多けりゃ歴史の紐解き

は更に深まったろうに・・・。今もまたどっかで歴史が埋没していく。そこの

爺さんまだ死ぬんやないぞ〜!金も知識も冥土にゃ持ってけんてー


02 月 08 日(Sunday)
  朝。長良川沿いを散歩してると枯れた野草の先っちょには丸く小さな雪

の花が咲いている・・・なんて呑気なことは言ってられない。急いで散歩を

済ませると瀬尻消防団の車庫へと車を走らせた。

  午前中は小瀬区内の団員総出で消火栓の点検と車庫掃除をする。午後

からはいつものごとく鵜の仕事をする。米が無くなったので3時の休憩時間

に坊主連れて軽トラで自動精米所へ向かった。場所はちょうど消防の車庫

のはす向かいである。既に2台の車が順番待ちをしており、車庫では上役

員らが消防車の点検作業中。車に乗せてもらい写真まで撮ってもらった。

するとまた新たに1台の車が精米所へと・・・。

  しょうがないから坊のラムネ菓子と缶コーヒーを買いに三田屋へ。軽トラ

の後部座席に備わったリムジンシートでくつろぎながら終わるのを待った。

  家へ戻り鵜の餌バケツ携えてふと上を見上げれば、白い梅の花が一輪

だけ咲いている。根元に咲くであろうカタクリの芽はまだ出ていない・・・。


02 月 09 日(Monday)
  朝は氷が張るほどでなかったが日中あまり日が照らず寒い一日でした。

鵜のことが済んだら父が作業している納屋の改修を手伝う。今は亡き先代

が建てたものでして柱は既にボロボロの状態。よく支えていたなと驚きつつ

柱の入れ替え作業、新たな棚を作るなどする。

  あっとゆう間に日も暮れゆき、妻の晩飯の用意が整ったとの声を聞いて

仕事を終えた。昨日水菜を近所の方に頂いたので今夜はハリハリ鍋だ。

腹は幾分空いており早々と食卓に付こうとした矢先、玄関先の父から

『お〜い。火事やぞ〜』

の呼ぶ声。久々の消防団出動かと慌てて外に出たら何てこともない。

火事とは夕焼け空のこと。ただ、大変素晴らしい眺めであった・・・。



02 月 10 日(Tuesday)
  とっても暖かい春の日差し。川沿いにはネコヤナギがちらほら咲いてる。

今日は関市役所で観光協会の役員会があると時間直前に妻から聞いて

慌てて車で向かった。いつも通りのお偉い様面々の中で浮き立つ僕一人。

別に何も変わった方針はうち出されず定時前に閉会。

  帰ってから表の笹林を刈り取る作業を行うことにした。山も庭の杉苔も

この笹も一緒でね、若い芽が出る時期にその頭上の古い蓋を取ってやら

んことにはダメなんです。さもないと結局絶えちゃいますから。

  で、坊主も傍らで手伝うらしい。刈った笹を籠で持って行く作業をして

もらいたかったけれど自分もハサミで刈ると言ってきかず、やらせた。

  もちろん予想通り、10分ほど経過すると己の指の腹まで切ってしまい

泣き喚く始末となりました。ただ、キズ板張ってやるとその後はずーっと

籠に笹の葉入れてゴミ場へ持ってゆく作業に徹しており、結果として良い

経験とかゆう薬になった。

  かなりの間手伝ってくれたが飽いてくると軒下で日向ぼっこして気持ち

よさそうに寝てるメルの体を枕にして、寝っころがっては自分でウケている

様子でゲラゲラ笑い声が聞こえてくる。遠くからでもメルの顔はかなり煩わ

しそうに映った。


02 月 11 日(Wednesday)
  上天気となった今日は旗日。こんな日は酒でも飲んでゆっくりしよか?

全休だ〜、何もせんぞ〜・・・。そんな日を1日下さい御先祖さま、ってなこと

言ったらばち当たるぞ?まあ酒だけは昼前からそこそこ飲ましてもらいまし

たわ。だって法事だもーん。永昌寺の先代住職の23回忌でした。

  この方は前の前の関市長さんでもありまして市政はもちろんのこと小瀬

鵜飼に関しても古文書を紐解くなど歴史編纂に大変御尽力を賜ったと聞い

ています。

  故人は美化されやすいもんかも知れないが、やはり今を生きる同種の人

には無いもん持ってたのは違いないやろな?今でもそんな奇特な住職さん

然り、政治家さんっておられるんやろーかって?うん、役職は違えどおるよ。

あなたの家の爺ちゃん婆ちゃんよーん。

そう何を隠そう僕は爺婆フェチっ、て何でよね〜・・・

でも審査基準あり。寡黙でいっつもにんまり笑顔、ほんでもって若いもんに

エライ腰の低いお方達だ。一見まるで人形さんのような爺婆様もキーワード

を耳元入力すればモーゼの十戒のごとく畳もおっ立ちますって。後光が差

して見えるでしょ?そんでもって、はは〜と頭を下げたくなりません?

そのような方って現実は物言わぬ『金』の引き出しとしか見られておらず、

老人ホームなんかでは 『お爺ちゃんダメでちゅよ〜』 との声に自尊心も崩

れてゆくって。

  ちなみに人の話をまったく聞かないエライ様には腹が立ち、そりゃかわいく

ないこと言ったり席も立ったりしますって・・・え?若いっ?経験不足?僕が

一番偉そうやって?いや俗に”生意気”と言われますがプライドっちゅうもん

誰しもあるでしょーよ?爺婆様はもちろんのこと、大抵超一流の社長さんや

小規模なりとも光る会社の社長さんってのは僕のようなアホな若造鵜匠の

話を涙がこぼれる程ちゃーんと聞いてくれる。そうでない場合は何でこんな

偉そうな小童の話を長々と聞かなあかん、と二度と使ってくれませんが

不思議とその社員さんらが何かを感じてくれて個人的に御家族で来て頂け

る。これも涙が出ますわい。もっと精進せなあかんと心に誓いますわい。

  もう古いけど金さん銀さん。マスコミなんかは長寿ばっかし追いかけて

肝心な『記憶』は伝えてくれんかったし。核家族は壊れていくし、おかげで

虐待は増えるし。今の社会は便利っちゅうプラスばかりを追いかけるから

マイナスと烙印を押されたものが実は『功』とゆう裏は出てこ〜〜ん。

こんな世の中じゃキツネも化けて出てこ〜ん、コン、コン・・・

  今日は旗日。こんな日に誰か新しい日本の旗を上げてくれー、


桃:はいなー私桃太郎と申します!誰か一緒に鬼退治に行かぬか?

猿:では私猿がお供するでござる。

桃:おっ!猿か。今年は猿年、縁起が良い!他におらぬかー?

雉:ケン、ケーン!では私も。

桃:うむ。しかし酷な旅になるぞよ。今日はケンコク記念日でもあるしな・・・

  他におらぬかー?お〜い、お〜い・・・・。     やはり居ぬ、か・・・・。

猿:えっ!お供はわしら2匹だけ?では去るぞよ。

雉@擬死:うわ〜!!!鬼共がやって来ました。私死んだ真似します故、

  後は頼みますぞ。桃太郎さん。

桃:ちょ、ちょっと待て。わっ、我こそは・・・ズドン・・・(パタン)。。。

 雉は小声で呟いた。 『・・・貴人も鳴かずば撃たれまいて・・・(苦笑)。』 

・・・・しばらくして・・・・


鬼:Ha、ha、ha ・・・You came here by yourself? As〇hole!

  Well、we have a dinner tonight .

  By this way , my sweet doggy "Pochi" got a bird.

鬼A:Hey、Pochi! How many did you get?

犬:                        わんっ、・・・


02 月 12 日(Thursday)
  朝鳥屋に入ると久しぶりに鵜3匹が餌を戻していた。最近ちょいと多めに

餌を与えているせいなのか。今日は気持ーち少なめの餌にすることに。

  夕方妻はチョコレート作りに精を出しており、坊を見ておいてくれと言うの

だがこちとら鵜に餌をやる時間。母は外出中で父も小屋の改修中。すると

隣の婆様が見ててくれるとゆうのでちょいと預かっていただく。餌やり直後に

鳥屋内にある防寒用の添え板を止めてある鉄棒の留め金がドスンと外る。

目に見えなくとも時の経過は着実に老朽化が進んでいるんだなー。明日も

このせいで餌を戻しちゃうかも・・・。

  餌を終えて迎いに行けば玄関外から何やら笑い声が聞こえてくる。カネモ

の爺婆様に尋ねたところ、坊主がおかしなことを言ったそうだ。

『おまはん(お前)、口が達者やなー。幼稚園入ったら先生困ってまうで。』

『僕ねー、幼稚園行って大人になったらお酒飲むしタバコも吸うよ。』

家ではそんなこと聞いたことがないので大変驚く。よほどうまそうに映るの

だろうか。

  晩飯後に床屋へ。明日は和服着に袴はいて長唄歌わにゃならんので、

しかも関市の刀関係の方々が多数出席とゆうこともありビシッと角刈りで

頼んますとサクラ理容室の兄ちゃんに伝える。夏場やないし坊主頭は寒い

でか?と脇のおじさんにぼやかれもする。

『ところで今時あんまし聞かんわな、角刈りって・・・。』

『今にNYで”KAKUGARI"って流行るよ。再流行するで見とってー。』

ただ、途中経過は過度に直角すぎて・・・明日の式典の初っ端に角が立っ

ては困るのでと修正を願った。まるで刃物で切り取ったようにも見えるため

ウケはいいのかも知れない?やっぱりちょいと丸く収めた。

でも一応は ”KAKUGARI”よ。


02 月 13 日(Friday)
  本日夕方、三味線の我がお師匠の旦那さん(刀剣柄巻師)の無鑑査認定

を祝う会が関市の某会場にて開かれました。

  会場の名簿用紙を見開けば刀剣に携わる匠の方々はもちろんのこと、

大変な顔ぶれだと改めて知りそりゃー汗もにじむって。。開会が迫ると目の

前にどんどんと町のドンが来場。緊張感はピークに達したが演奏直前に前

を通りかかった市長さんに 『”小鍛治”か?(にやり)』 とされるといくらか力

が抜けた。間もなくお師匠様、N氏と共に長唄を御祝儀として披露した。記憶

はぶっ飛んでて無いが間違えず一生懸命歌った感はある。こんな若造鵜匠

が居れる場ではないがこれが縁とゆうものか。その後はただただ恐縮して

小さくなっておりました。すると隣席した刀匠さんが正面に展示してある刀を

指して、中身の刀は竹だが外装だけでいくらの値段だと思うかと尋ねられ

聞いてビックリ!また刀剣会の重鎮の方の御祝辞から旦那さんの類稀な

努力の連続とその実力を改めて知らされて更に驚愕し納得もした。

  会が終わり齢90の爺様N氏をお送りの道中に聞く一幕。

『関とゆうのは小さな町でね、地域柄か天狗にもなりやすいんです。そんな

環境のなか先生の旦那さんのように経験を踏まえるなかで謙虚に行動した

・・・結果、実を結んだんでしょうな。これは難しいことですよ。』

  車内において鋭い日本刀の腹でお尻を冷やりとさせられた感じ・・・。

毎日毎日馬鹿げた日記書いてていいんやろーかと思う今日この頃。

掲示板と同様に軌道修正の必要ありかな。



02 月 14 日(Saturday)
  『皆〜!これからこの鵜を捌いてもらえるらしいで〜。』 愉快な大阪から

のバスツアー観光客。帰り際に大阪で庭園作りをやってるおっちゃんと話を

させてもらった。彼も杉苔の庭を造ろうとしているらしくスプリンクラーまで

完備して育てたがダメだったとか。バスまでのお見送り最中もあれこれ歩き

話。大阪では結構有名な庭園業者らしいがうちの庭に感銘を受けたとかで

また来るわー、と言い残しバスの中へ。するとバスガイドさんが乗客の皆

さんからみかんを集めてうちの坊主にくれ、更には先程の男性再び降りて

お菓子の詰めものをまた坊主に。坊主まる儲けとはこのことか・・・。

  最近手の噛まれ傷が酷いので昼から鵜の嘴を削った。たぶん昨日見た

刀の柄巻きが急がせてくれたのだろう。鮫皮を片手に24羽分の尖った嘴

を片っ端から仕上げていった。おかげで今日の生傷はいくらか減った。

  曇りがちな天気で夕刻から雨の気配がし、表の松割り木にシート被す。

日の光は少なけれど割合暖かかった。後に春一番が吹いたと聞く。



02 月 15 日(Sunday)
  昨夜は強風が吹き荒れ戸がガタピシ音を立てており、今日の昼間も風音

が唸っていた。先日の梅の花に続いて庭のつくばいの苔間にひょっこり顔を

出す梅花黄蓮のつぼみは縮み上がってプルプル震えちょる。

  昨日の日中は確かに”ゆるやか〜な”南風が吹いておりましたが、夜には

低気圧による寒い北風。暑さ寒さで一進一退しつつも春はやがて来る。これ

が三寒四温とゆう奴ね。運が良いのか悪いのか、今日のお客は三寒日。

  そんな日に暖かい話をぶら下げて訪問された古田さん。鵜飼写真のDVD

製作の過程と、もう一つは自分自身が鵜飼に関した回顧録を記したもので

父との交流から僕への繋がり、そしてうちの坊主の出生までも(笑)。

  それを見て大変懐かしく思いながらふと思う。16代目の死後直後からの

お付き合いであったんだなーと・・・つまり、古田さんとこうして長くお付き合い

をさせて頂く上で、彼との対話が叶っておればと悔やまれるのだ。

  古田さんにとってもそうでしょう。僕にとってもそうでしょう。『語り継ぐ』こと

がいかに大事かと。

  現在70歳の人間が故人の話を聞けば、それは優に100年以上の伝えと

なり聞く人が多ければ多いほど、・・・ね。






02 月 16 日(Monday)
  庭の杉苔の上には薄っすらと雪残っている。ちょいと寒い日になりそうだと

僅かに残った細い松丸太の山を切り分けようとするが、チェーンソーの刃を

砥ぎに出すのをすっかり忘れてた。では試しにと父が若かりし頃に使用して

いた刃渡り2尺の大ノコギリを納屋から出す。

  ギコギコギコ・・・、やってられん。

  先日松を割ってる最中に通りがかったカネモの婆様が言ってた。

『私のような女も一抱えある松を切りよってな、1日かけてやっとやった。』

  信じられんて。最近は斧で割る鵜匠はおらんなどと言われ感心されること

もしばしばだが、先人がして来たそんなことを聞けば、だ。

  目の前にある小山どころか一本も切り終えないうちに、まだこっちの方が

マシだと切れ味の悪いチェーンソーに手が行くんだから。自分こそがまさに

”なまくら”であると痛感する。楽を覚えりゃなびくのが人間。こんな様だから

手斧だけは続けようっと。それを支えてくれるのは有難い父のこんな言葉が

あってこそ。『おい!コンプレッサーで割る機械買ったらどうや。』

  彼が反対に、昔は松を斧で割ったもんやと言おうもんなら即刻その機械

を購入していたであろう僕こそが、正真正銘のあまんじゃくなのです(笑)。



 


02 月 17 日(Tuesday)
  本当に鳥インフルエンザはもう大丈夫なのか。薬剤訴訟やBSEのことも

あって、来週からの山口県における市場GOサイン決定を鵜呑みには出来

ないでいると今日の紙面で今度は”大分発”である。いつになったら鵜の池

に水を入れてやれるだろうか・・・。まぁ今のところはここ岐阜県に関係ない

のだが、渡り鳥の飛来にせよ食の流通にしても実際のところウィルスなど

姿は見えん。万が一こっちに来たらどうなるんやろ?新鵜(野生の鳥)は来

期まで来ないが、これが良い方に転ぶか悪いほうにこけるか、だ。

  昼飯食った後、坊主がしゃぼん玉をやろうとせがむ。お父ちゃんは器を

持っているだけだからねと釘を刺され庭へ出た。色を変え大きさを変え次々

としゃぼんが宙に舞うのを指咥えてただただ見ていた。

  しばらくして場所を川へ移す。そして階段に座りながら器片手にタバコを

ふく。煙の方向が変わったので更に橋の上へと場所を変え、長良川の上。

  風の流れは気の向くまま。お空に舞い上がったと喜んでおりゃ〜眼下に

流るる川へ落ちてく様子をじっと見て、浮かんでは消え・・・。風が変われば

手前に飛来し坊主の手足でピタンとされて。そう、いつの間にやら僕が吹い

ていた。そして思う。楽しみながらなんとなくしゃぼん玉に見た無常観を。

 


02 月 18 日(Wednesday)
  暖かな気候が長く続くようになったおかげで昼食後にはやたらと眠気が

襲って気だるく、ここ三日間は必ずうたた寝をしてしまう。おまけに夜は足が

浮腫んで寝ずらい・・・。春の陽気か仕事のせいか。

  昼飯食べた後、テレビのニュースをぽちっとな。どうやら鳥インフルエンザ

飛び火の恐れを前に鳥の関係者が慌ただしい動きを見せている。山口県や

大分に限らず全国のペット店、動物園もである。何でもお客様に不安を与え

ない為だとか。僕の先月からの行動もそれ程馬鹿げたことじゃー無かった?

  でも地方行政までも動きだしたとあらば、鵜飼関係者に御達しが来るのは

そう遠くは無いでしょう。その前にもっと徹底するつもりだ。

  ただ、懸念しているのはこれからの時期。インフルエンザって基本的に冬

の流行だが最低春先までは響くこと。これからの時期は日増しに鳥が動い

てくる。それが一番怖い。

  もしかしたらカワウが死んで・・・なんて呑気なことは言ってられん。川鵜

なんて所詮は地着きの鳥である。

  発生している南の方角より渡って来る鳥の種類は数多く、そのなかには

もちろん含まれているのが鵜飼で使用される学名 [Japanease cormorant]

その海鵜である。

  流通以外の自然動物の動き。それが僕は怖いなー、ホントに。



02 月 19 日(Thursday)
  朝郵便が届いた。、N氏知人の田中氏より古文書解読之書三冊が送られ

て来た。今年はうちの歴史を紐解く大事な年。その為にこの年になって気持

ちを新たにして学ぶ機会を得られた。早速封を開けてみると実に分かり易く

右に古文書のコピー、左は解読されたもの。ただやはり、一筋縄で行くはず

がない。まるきりミミズの這ったような文字の羅列なのだから・・・。

  午後に三味線のお師匠宅へ向かいN氏と合流。そして二人からの先日の

祝いの印をお贈りさせて頂いた。すぐに帰るつもりでしたが関市や岐阜県に

纏わる著名人の大変興味深ーい話を聞かせてもらいました。

  家に帰って松割り木の移動を行う。裏手川側に昨年から寝かせてあった

割り木を表へ⇔作業。またササクレが手に刺さって痛いぞと諭せど坊主も

軽トラの中へポイポイと投げたり手渡しをしてくれて助かった。

  しかし暑い・・・何なんだろうこの暖かさ。4月上旬の陽気で明日も続くと

テレビのニュースで聞いたが。もう数週間後に鵜飼が始まりそうな、稚鮎が

川で飛んでそうな、本当にそんな気がした風の匂いだった。まだ鵜飼開き

まで3ヶ月あるのに何だかとっても焦らされた感じ・・・。

  梅も慌てて花を一斉に開くか。でも桜は待っててよね。。。

P・S 鵜達もこの陽気に変身スイッチが入った模様。 
   本当に微妙だが、わずかに婚姻色が出始めテリトリー意識が今日
   から強く出始めた。






02 月 20 日(Friday)
  昨日に引き続き非常に暖かな日。梅花黄蓮が一気に花開き、カタクリの

芽が出たのも確認した。中庭では寄せ棟による亭(ちん:あずまや)骨組み

作業が始まった。僕は昨日に続いて松割り木の移動をもっぱら行いながら、

建築作業に見いってしまい仕事量は半減。夕方には骨組みが完成した。

  夕方になってもさほど寒さは感じられず。飯時に目の前をうろちょろ飛ぶ

虫がおり、えいっと箸で摘めば今季初のメスの蚊だ・・・。

三寒四温とゆうものの温度差がちょいと激しく感じられるし、とりわけ川の水

の少ないのが今年は非常に気にかかる。


  たらふく晩飯食べて坊主と風呂に入ろうかとしてると電話あり。!すっかり

忘れてたが今日はお知り合いの家でフランス料理を頂くことになっていた。

『早く来なあかんぞ〜!今日やで〜!』

慌ててママチャリで小瀬の夜道を突っ走った。知人がフランス料理のシェフ

とは聞いていたが、本当に素晴らしい料理だった。集まったご友人の皆様

は50代過ぎの刃物関係の若社長ばかり。スケールの大きな話ばかりで

田舎モンの僕にはついていかれんかったが実に楽しいひと時でした。

  白やら赤のワインをいくつか飲ませてもらいすっかり酔っ払ってしまう。

片田舎に帰って聞けるとは思わなかった料理職人の透明な話に耳入って

たら時計の針は12時近くに。御馳走になった御礼を申し夜道を帰る。

おぼつかない足どりで自転車のハンドル握れば、蚊の軌跡を描く。

 


02 月 21 日(Saturday)
  なんて暖かいんだろう。動けばすぐに汗が出る。2月半ばで日陰に入って

休むとは。蒸し暑くも感じられるほどの陽気だった。場所によっては5月並み

の気温であったと聞く。

  明日から天気は下り坂のようで時間に追われた今日の仕事。疲れた。

それを癒してくれたのは妻の料理。今朝妻の実家から蟹とメギス(海魚)が

届いており、夕飯時には昼に食べた焼き魚としてではなく天ぷらでメギスを

味わせてくれた。坊主はニラ雑炊のみ。実は昼間にカニを食いすぎてお腹

をこわしてしまったのである。

(蹲の周りに一斉に花開いた梅花黄蓮の写真)



02 月 22 日(Sunday)
  ここ数日の異常な暖かさで上流部の雪が解け始めたのだろうか、長良川

の水量が少し増え濁っていた。あるいはぽつぽつと小雨も降ってきたこと、

山の天気が荒れているのかも。

  鵜部屋の掃除を済ませて鵜を籠に差すと昼から消防の車庫へ。本日は

消防本部の査察、並びに夕方から退団される方々の送迎会。

  一次会が終わって外に出れば強い風が吹き荒んでいた。次いで二次会

の酒宴が終わって深夜の帰宅時には更に強くなっていた。


02 月 23 日(Monday)
  昨夜、こちら美濃地方に訪れた春の暴れん坊は少々過ぎたことをしでか

したようである。表の駐車場に駈け寄れば乗用車2台の隙間には5mの脚立

が横たわっていた。離れた場所からでも凹と引っ掻き傷が目に入る。嗚呼・・

ボンネットじゃなかっただけマシかな、そうなってたら窓ガラスも割れてたかも

と自分に言い聞かせながらも、春・・・一番最低な朝となりましたわい。

  長良川は真っ茶色に濁って大水が出ており、久々に川を洗い流してくれた

かな。待ちに待った恵みの雨となる。昨日に続いて体を押すぐらいの強風が

吹いており、一緒に散歩中の坊主は足が速くなった気がしたのだろうか猿の

ようにキャッキャ言って走ってる。

  屋敷に戻って庭に鵜達を放てば、僕のかけるホースの水に羽を震わして

いる。強い風をも同時に受け止め、飛んでいきそな勢いだった。午前中は日

が差し込むものの、午後からは時折小雨もぱらつきもし少し寒い日だった。

ただ日に日に梅の花も開花し、笹の新芽の間からは次々とカタクリの芽が

出てきている。春は桜を前にカタクリの花が最も楽しみな私である。花は

もちろん綺麗なのだが、あの何とも言えない・・・モネの睡蓮のような葉の色

が独特で。艶はなく、薄く、・・・。



02 月 24 日(Tuesday)
  昨年はこれや!っちゅう大雨は一度が降っていないせいもあろうか、溜まり

に溜まった水垢か、或いは工事による土砂により白く濁った長良川の水。

  昼からは表で蒔き割り(小割り)しておる。休憩がてらに隣で畑作業してる

婆様に昔話を聞かせてもらった。とゆうのも先日全国観光マップ管理人さん

からメールにて伊勢崎銘仙のこと聞いていたのでそのことを伺いたかったの

であり、おまけにその前後(昭和の戦争時の)の話を伝え聞く。

  『あれほど美しい光景は見たことが無い』

とは焼夷弾の降り注ぐ様子。離れていたからこそ言える第三者の言葉だが、

この言葉を発せられる人も当然ながら藪や防空壕の中で、上空を飛来する

B29の轟音に 『もう駄目かもしらん』 と震えた時間を共有している。

  次いで戦後の新潟地震についても。職場にいたときゴーとゆう音と共に

地面が揺れた。これはあかんと職場の人間が一斉に防空壕に向かった。

たかだか十数mの距離を走るのが極めて困難だったらしく、一瞬土の下に

埋まってしまうのではと防空壕に入る際に躊躇ったそうだが入ってしまえば

30分程外に出るのが怖くて皆でじっとしてたらしい。

  続いて家の中からひょっこり爺様も出てきて参加すれば違った面白い話。

これまた地震の話だが戦前に愛知県に鵜飼舟で泊まり餌飼い(えがい)を

しに行ってる時のこと。

  川面に立つ屋敷の柱に舟を係留して休んでいたら地震が揺すり出した。

慌てて舟から頭を出すと少し離れたところにある同じような家が川の中に転

がるのを目撃し、とっさに川んなかへ飛び込んだらしい。父も夜中とっさに

庭先へ出て松の木の元に家族皆でしゃがんでいたことが度々あったと。

  聞いてて思う。今の時代にこんな行動がはたして取れるのかと。最近は

ここ岐阜県あたりじゃ大きなものは起こっていないだけに。

  刻は経って夕方のこと。表先で松の小割りしてると知人二人が仕事中に

出た根松をわざわざ届けてくれた。感謝感激。松丸太を腰掛に右手に手斧、

左手に酒。散歩中の船頭頭も加わって久しぶりに会えた面々に嬉しく思う。

  日もすっかり落ちて辺りが暗くなると同時に酒瓶の底のみぞ光る。

 


02 月 25 日(Wednesday)
  何かと酒の席が多い年。今夜も寺の集まりあって只今ほろ酔い気分。

父に代わってここ数年は訳も分からずただただ会合に出席しており、耳を

傾け勉強する毎日です。この年で最上座に座らせられるのは気が引ける。

天狗に見られたくもないから酒を注いで回る。

  酒など注いで回る必要は無い。媚び諂う必要は無い。それが今の社会を

悪くしている根幹だと以前90才の爺様に聞いた。同感である。ただそれは

最低のルールがあると感じる。酒を注がねどその人の人格を尊重しての

こと・・・かな。

  僕はお年寄りや若い人間に酒を注ぐのは好きである。大事な話を聞ける

し伝えることが出来るから。面白おかしい冗談話ももちろん大事だ。しかし

それだけで終わるのは全くもってただの『淋しい話』である。いつから歴史

がただの教科書に成り果てたのか・・・。もちろん真面目な話ばかりじゃ

人は寄りつきません。難しいですねー(笑)。さ〜て、そろそろ便〇を抱っこ

しようかな。僕にとっては鵜飼道具の『吐け籠』のようなもの。トイレは僕の

駆け込み寺。

  近年は不漁(不況)といえどもどこかの業界はいつの世も豊漁。

鮎も子供も減少傾向にある。自然を畏るるべし。歴史を保持すべし。


02 月 26 日(Thursday)
  遅くなってた腰蓑作りの作業をする。せっせ、せっせとツボを綯いながら

(2本の藁を綯い合わせること)昔の餌飼の話に聞きいった。

  苦労話も多かった。雪降る郡上辺りの瀬。岩にしがみついては鵜飼舟引く

縄を背負って上流へと上る。餌飼い道具一式詰まってる重い舟だ。苫(とま)

布団、炊事道具etc。落差のある強い瀬などではあらかじめ荷を下ろして

上ったらしい。

  彼は幼少時霜焼けが酷くって冬場はパンパンに足が膨れ上がり足袋を履

けなかったそうだが、鵜飼船頭をするようになって患わなくなったとさ。

厳寒時にも素足で足半履いて凍り川を走る鵜飼屋船頭。川の中に足を入れ

てる時の方が温く感じた冬場の記憶だそうだ。

  風の強い、寒い一日だった。でもなんてぬるい生活なのだろう・・・


02 月 27 日(Friday)
  お父ちゃん雪降っとるよー!ってハイハイ、テレビの中でのことだろうと

坊主の話を聞き流していると妻が本当に降ってると言う。窓を覗けばひらり

ひらりと、紙吹雪のよな薄いペラペラの雪が結構降っていた。

 今日も朝から嫌ーなニュースが飛び込んで来た。京都の養鶏場で1万

羽もの鶏が死んだとのこと。天候加わって更に寒い一日となる。

  昼から昨日に引き続いて池尻の船頭宅へお邪魔すると、前日の嫌な臭い

の一件について偶然お聞きした。関市の西本郷通りに鶏の羽を燃やす施設

が以前からあり、そこが関市の総合斎苑の拡大予定地となっているのです。

要はこの施設が鮎之瀬大橋下流の地に白羽の矢が立ったとゆうこと。

  もちろんその悪臭ぶりを知ってる地域住民の反対にあって関市が都合上

間に入り、『以前あったような工程はせず臭いは出さない。万が一出た場合

は即刻操業を停止する』などの協定書を池尻、広見、瀬尻の周り三区と交

わしたはずだと彼に聞く。数日前にもその話で出向いたらしいが、僕の住む

地区において聞いた覚えはなく、関市の観光課にとりあえず確認をする。

同上。一見落着と思いたいがそう簡単に腹には入らなかった。

  なぜこの広い関市において鵜飼や長良川の自然風情を味わえるこの地

に建設が決まってしまったのか。とくにあの辺りは良き釣り場であり絶景で

ある。合併後将来大きな市となってから素晴らしい自然公園としてなど大

いに利用できる可能性を秘めて思えてならないのだが・・・。非常に残念。

(夜食の卓上における父との談より)

  また操業停止となる臭いの基準値は上流部の紙工場の排水と同様に

甘いもんでないのかなと。法律に守られてしまっちゃー何も言えんさ?

  小瀬鵜飼がこの町の観光としてどのような位置づけをされているか分か

りかねるが、市職員の方々がどのように見ているのかにもうちょこっとお聞

きしたいところ。土地開発云々だけの話でないと思った。観光課の方々が

同じ気持ちを所有していると信じたい。もっとも、『小瀬鵜飼関係者』自身

がどう捉えているのかが一番大事なことですが。

事実、何の臭いも出ないのならおおよそ問題は無い。名実伴う自然公園

としての可能性は失われるが。ちゃんと突き詰めていただかないことには

岐阜市と違って個々の鵜匠の懐が狭い分(各鵜匠の家の料理旅館経営)

次世代への存続の深い懸念材料ともなりうる。

  ちなみにその建設予定地の下の淵辺りはかつて長良川の鵜飼屋さんら

の最上流の廻し場(鵜飼漁出発の場)であった。(上流部で小瀬の鵜飼屋

と合同で御料鵜飼をする際は除く)

  心配しすぎなら結果としてそれで済むこと哉。笑われるだけのこと。




02 月 28 日(Saturday)
  先祖供養の為寺のお墓へ坊と二人で。筒に水を入れると坊主が仏花を

活けてくれる。帰り際拝むと脇で 『お父ちゃん元気になりますように』 との

呟く声が聞こえる。お宮さんと違うで〜、ほんでもって元気にならなあかん

のはお母ちゃんやろと嬉しながらも嗜める。家から小難しい表情をして考え

ながら歩いてきたので子供ながらに何かしら察したようだ。ごめん。

  昨夜から妻の体調が悪いため朝のうちに昼から予定してた腰蓑作りの

中止を決め、代わりに坊主と二人で久々に外出することにした。10分ほど

西へと車を走らせると岐阜ファミリーパークに到着。昨年知人に聞いて知り

実は初めて来る。子供連れの家族で大いに賑わっていた。



  ペダル式の人力ボートで遊覧する大きな湖を中心にして奥にゴーカート

類や大きなアスレチック(工事中)、向かって左側には木々の合間を縫って

走るてんとう虫のコースターがありこれは山頂へ到達する。スキーリフトの

ようにそのまま折り返し出来るし、そこで降りてボブスレーに乗って降りて

くることも出来る。これが結構迫力あって楽しい。後に偶然出合ったのは

遊船の船頭頭とそのお孫さんら。これがまた無愛想で・・・ところが余った

チケットをあげるや否や『怖くなーい?』 と息咳切って走って行った。

  終わって戻ってくればさっきまでの無愛想ぶりはどこ行ったー?。非常

に興奮して経緯を僕に話してくれてかわいらしい。やはり子供だなー(笑)

  3時に近くなったのでそろそろ帰ろうかと坊を促す。道端の芝生の上、

家族連れの人々が3時のおやつ時。本当は近々妻が弁当作って3人で

来る予定だった。今度はママと来ようねと頭に乗せてその場を後にした。
 


02 月 29 日(Sunday)
  どうやら妻は胃腸風邪らしい。昨晩は朝まで1時間毎に嘔吐し続けた

そうであり、察した坊主も寝ぼけ眼擦ってトイレに駆け寄り『大丈夫か』

と問いたらしい。私は爆睡してたらしい・・・。

  午前中に休日診療当番の病院へ車走らせた。妻の点滴中にちょっくら

関市の本町を懐かしさに浸りながら練り歩く。行き着いたのはねりやさん。

新装してから初の入店である。小学生時分はよくお世話になった。何と

言っても初期のガンダム世代であるがさすがにこの年ではその類を組み

立ててみようとは思えない。30分ばかり思い出に浸りながら見ていると

何か作れるもんは無いかとゆう気持ちが芽生えてきた。う〜ん・・・・坊主の

為にD51の蒸気機関車か?到底無理っぽい。名城、寺シリーズか?これ

も難しそうだし、じゃ海賊船にしようかな、ってどこに飾るのそんなもの(笑)

(でもなぜか不思議と非常に興味が沸いた。)結局店主に僕のよな素人でも

作れるか、挫折しないかと聞いて購入したのがこれ。非常に薄い鉄板を

カッターで切り抜いて組み合わせるだけのものだが非常に美しく思った。

風呂上りの一服時に丁度良く1時間とかからなかった。こうゆうのに鵜飼舟

があったらなー。絶対買う!少なくとも僕一人は・・・だけ。


(エアロベース社。マイクロウィングシリーズ。『Antoinette』)