†  Diary - 2004/01 -  †

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01 月 01 日(Thursday)
  坊主と新年早々散歩をしに向かう小瀬の川原は濃い朝靄で包まれており

対岸の風景もしばらくは見えてこない。元日のお日様の形のみくっきりと目に

することが出来た。屋敷に戻ると父と母が既に神棚の御燈明を灯したあと。

  家族で御神酒を口にしてお正月をめでた後、お節料理とおぞう煮等頂く。

鳥屋で掃除を行っていると隣のおじさん 『正月とて休めんわな』 と。本当に

そうや。女衆はお節作ってしばらく手を休めることさ。誰か鵜におせち作って

やっておくれ〜。1羽ずつ鵜の口ん中へ魚を入れてやること毎日。あんだけ

大きな口開けられりゃ気持ちいいが、だ。

  妻の作る料理に気をつけようっと。いっつも文句ばっか言っとる私・・・。


  寒い空気ながらも次第に朝日に照らされるは24もの大きな鵜の扇。

その中『尾白』はやはり調子が悪く。目は片方だけ8割の開き具合。

新年を迎えるものの旧年より引きずるものがあるのは我が家に限ったもの

では無く、社会経済、自然環境にまで多くが重苦しく圧し掛かる。

  でもなんせ正月気分は存分に味わうぞ〜!!!!!どうあれめでたい。

そして大事な年の初めである。♪しこたま酒飲んでお猿の尻ほど顔も赤く

させましょう(笑)。

  あらためまして、謹んで新年のお慶びを申し上げます。



01 月 02 日(Friday)
  昨日正月早々、馴れている古参鵜になぜか顎を突付かれてしまい、その

めでたくない傷顔ぶら下げて妻の実家へ走ったのは夕方。油坂峠を通って

小雨降る九頭竜を抜ける。到着するや海の幸を振舞っていただき、夜は芦原

温泉街の『湯楽』に赴き旅情を楽しむ。ポッカポカになった帰りには坊主言う

福井の”でずにーらんど”こと『ワンダーランド』に新しく出来た室内釣り堀へ。

釣れたぞ〜!と叫べば大きなタモ持って坊主が上げる、の繰り返し。20cm

から40cm程の魚が5匹釣れた。主を釣り上げれば5000円の歌い文句で

白熱したが、わしゃ〜一寸法師やない。時折見せる1mもの巨体にこの竿と

針では無理やて。二人してベッタベタで魚臭〜なって・・・妻に竿取り上げら

れ終了とあいなりました。釣り竿返す妻に店主が苦笑して言ったそうな、

『どなたも親さんの方が熱中しちゃうみたいですね・・』

釣れなくても坊主の好きにやらせてあげようと渡すものの、1分経たんうちに

自分の手元になぜか戻っていた。

『楽しかったか〜?』 『うん、お父ちゃん!』 

『また来たいか?』 『うん!』 ・・・しょうがないなぁ〜・・・



  今朝9時前には先方を出ることとなり、しこたまお土産もらって一人岐阜

へ急ぐ。正月の九頭竜は雪で通れんことしばしばなのに道路脇に低く残っ

てるだけとまるで春先のような風景。途中写真を撮るため降りて走ったこと

もあったせいで、車に戻ってみれば暖かい日差しに窓は全開しておける程。

爽快で気持ちがいいと言いたいところだが、数年前のような数メートル先しか

見えない猛吹雪のなかを行く方がまだいい。年が変わっても季節の流れは

その延長上であり、引き続き季節感を薄く感じる。

  正午に家へ着けば急いで鵜を鳥屋から出して掃除。薄手の長袖一枚で

過ごせる日に鵜達はのどかに羽広げ、時折幾人かの俳人がその陽気に誘

われ訪れもした。関市の町中では恒例の刃物鍛錬が行われたと聞く。

行事、まつりごとで季節を知る。



01 月 03 日(Saturday)
  12月中旬辺りからは川に寒バエの姿がほとんど見られなくなったので

それからとゆうもの漁には出ていない。屋敷裏から上流側の鮎之瀬橋の奥

を見ると川の中に記憶の無い草の塊がある。いつも皆で網を投げていた所。

去年の暮れから気づいていたものの、あんなに大きかったかと不思議に思っ

ていた。今日やっとそれが漁業組合によって設置された魚の避難場所である

と気づいた。

  久々に橋の上から長良川を見下ろしたのだが・・・絶句する。水は澄んで

いるのだが川の中の石がすべて真っ黒。砂の帯のみが真っ白に浮き立つ。

その黒さは腐った川垢であり、まるで手入れのされない水槽といったところ。

異常な暖冬が自然の浄化作用の悪化を更に進めたんだろうが、おかげで

その黒い道を辿って寒バエが出てくるようになったのは皮肉なこと・・・。


  この川の畔。冬場の淋しい季節には美しい夕焼け空のみが映える。

一見平和な正月が過ぎてゆく。


  福井で過ごす妻子が本日僕の代わりに金毘羅さんへ御祈祷賜りに行った

と電話にて聞く。めずらしい鵜匠の訪問とゆうことで顔を覚えていただいてる

ようで、巫女さんが僕の不在に気づいてくれたと聞く。御祈祷してもらった後

大座敷でばあちゃんらが作るぜんざいを何度とおかわりするのが新年早々

の最たる楽しみなんだが・・・。お父ちゃんの食われんそのおぜんざいをうち

のクソ坊主は 『甘いからいらん!』 と食べて来ない。

あ〜あ。オイラも行きたかったのになー。代わりに食べて来いっちゅうの。


01 月 04 日(Sunday)
  昨夜遅くに気になっていたHP内のリンク集を触りだしたらムキになって・・。

外から聞こえるカラスの声に朝の訪れを知る。寝ないでおこうかと思ったが

この時期無理が祟って風邪でひいたらかなわんと数時間寝に入った。

  最近やんちゃッ気が目立つようになった中堅の鵜としばし対話を心がけて

いる。成長するにつれて知らぬ間に大事な『少しの会話』が減っていたので

そうなって当然だ。幼鳥時に手をかけ過ぎるとそのスタンスをずっと維持する

のは無理であるために結果やんちゃになりやすい。あるいは鵜匠があまりに

関与したために他の鵜達に溶け込めないか、変に調子づくかである。

  反対に手をあまりかけずただただ ”ほったらかし” では手に負えなくなる。

昔とは生活スタイルが異なるので尚更だ。放っておいても育つ環境にないの

は現代の人間社会と同じことかなー・・・と。僕は父から素直に聞く耳は持って

なかったので修行中の5年間にはそりゃー様々な鵜に仕上がりました。

鵜には大変申し訳なかったがおかげでいろんなことを教わりました。昔の鵜

匠が行ったとゆう 『極限の知識』 を知る行動は今の僕には出来ませんし、

その必要もない・・・。

  昨年の10月を思い出だす力溢れる夕日の絵。数百年前の日本画を彷彿

とさせるような色と太く直線的にたなびく自然のタッチに恐れいった。





01 月 05 日(Monday)
  まだ眠たそうな眼と霜の下りたフロントガラスを擦って瀬尻区消防車庫へ。

今日は関市内すべての地元消防団が一同に集まり出初め式が行われる。

  まずは関市文化会館にて偉い方々々々・・・から賜る年頭の挨拶、祝辞は

2時間に及んだ。晴天に恵まれたとはいえ薄っぺらなブーツで足は凍えた。

式典が済むと本町通りを練り歩いた後、そのまま津保川まで。

  ここで失礼するはずだったが人手の足りない分団の応援を頼まれ、筒先

持つ人間の後で補助を務めた。青く澄んだ空へ向かって赤黄青の水が一斉

に放水された。終了後すぐさま家へ戻ると鳥屋を掃除し新年会にちょっくら顔

出す。ほんのり赤ら顔で鵜に餌を与え、夜は遅くまで酒宴となる。





01 月 06 日(Tuesday)
  昨夜の酒のせいで喉が乾き目が覚めた。窓の外に目をやれば一面霜が

降りていて白く輝いていた。

  日が昇ると鳥屋へ向かい、鵜を籠から出し庭へ放つ。目を負傷した『尾白』

のみ軒下から出ていかず、その場で毛づくろいを始めた。

  1時半頃川の様子を見にいけば静かなもので無風の水面に山がくっきりと

映しだされていた。すると突然対岸の浅瀬の水面が一部ざわめきたち、魚の

大きな群れが暴れたのかなとじっと見ている。どうやらつむじ風のようだ。3m

の美しい円を作ってこちらに向かって来る。

  反時計周りに風が走っており外周部の5箇所は水を鋭利に切りとっている

かのようで、白く波が立っていた。

大きなレコード盤のようで円内には細やかなラインが無数あり、緩やかに弧を

描きながらやってきた。そいじゃー、つむじ風を受け止めてみようと階段を駆

け下り、足先の階段と水との境で水がざざっと立ち昇ったとたんに激しい風に

包まれ木の葉が舞い上がった。1分余りの短い間だったが自然の美しい調べ

を聴く。書いてる途中に今度は地を鳴らす音を聞く・・・。久々の地震だった。


01 月 07 日(Wednesday)
  朝起きれば卓上に湯気立つお粥・・・。何の葉っぱが入ってる?


  間もなく長良川の連載特集が始まる。第一回目に僕の意見を出して頂く

ことになり本日取材となった。頭をちょいと整理してると岐阜新聞の記者さん

がカメラマンさんと二人で来訪。

  現在の河川環境においてこのような記事が組まれる流れは当然だろうし、

また待っていた。しかし夏ならともかく今年はオフの時期に取材が多い。母子

のくさい映像やら?もあったっけ・・・。

『連載終わって読者から反響が無かったら上司に頭下げますわ。』

と、さらりと笑顔の口調で記者。

  基本的に新聞は政治的に利用されるものとの頭があったので、この岐阜

県において新しい『動き』か。実はこれも?なんてね。

  川にて手縄を絡げた若い鵜の訓練風景の写真を撮られ、屋敷戻って話

をすることに。ちょうど昼時だったしで母が焼餅運べば皆手で食いながら川

の現状等について。相当詳しく勉強されているようであり僕にとっても大変

参考となった。今の惨状を見て”ほっとけないさー”の気持ちを日記から読み

取られたようであり、彼自身もその思いは熱く胸に抱いてる様子だった。

以後どうか杭が打たれませんように。


  今晩の猪肉は子猪であり猟師から今期最高のもんやぞ〜、との言葉を

貰っており、皆さん舌鼓を打っておられると聞き大変嬉しかった。鈴なりの

白い脂はことのほか甘いようであった。以上春の七草粥日記。

注:ごぎょう→母子草。


01 月 08 日(Thursday)
  鵜の池は頭上にある葛の葉が次々と飛び込んで一面浮いており、たもで

拾い上げていると 『一日中そうしとるつもりか』 との言葉も横から飛ぶ。

たしかに・・・朝から晩まで強風が吹き荒れた寒い一日となった。

  堤防上に他の船とは離れて置いてある朽ちた客船。その屋根部は見事に

吹き飛ばされて散歩道の上に大股開いてひっくり返っていた。風は大きくどよ

めいており座布団でも飛んできそうな勢い・・・満風御礼。

  この寒さのおかげで掃除の水ホース持つ手が久しぶりに痛く感じる。でも

冷たくて手が悴んでしまいホース先を摘まめない日が未だ無いとは。温暖化

の影響にしては暖かな日が続いていたので、(霜焼けは本当に嫌だが)寒い

冬らしい日がもっと欲しく思うところ。

  鵜に餌をやり鳥屋籠の中へ仕舞い込み、担い籠を片付けようとしていると

一つだけ重い。どうやら一羽忘れてしまっており中でじっと待っていたようで

申し訳なく思う。

  ここ最近餌の戻しが毎日一羽ほど見受けられる。同じ鵜ではない。


01 月 09 日(Friday)
  朝鳥屋へ入れば嫌な臭いが漂う。今日は3匹の鵜が餌を戻していた。

中堅一羽と若いのが離れて二羽。数年前までと違って鵜との関係は良く

なったのだが、ここ数日多い。餌が多いのか。明日一日餌を抜いて胃を

空にしようかと思う。食欲はいたって旺盛である。

  10時に待ち合わせがあった。伐採によって出た赤松を頂けるとゆう話が

あったので軽トラで向かう。あまり大きなものは無かったが、切り口からは

松ヤニの出る生木ばかりであった。三往復して表の駐車場へ運んだ。

  鵜部屋の掃除を済ませた後チェーンソーで細かく切り分ける作業をする。

3時の休憩時に切り株に腰掛けて一服やっていると、空にはめずらしい虹

を見る。昨年11月に見たものと同様のものだ。あの時は真っ直ぐ切り立った

虹に見えたが、良く見ると薄っすら太陽をぐるりと一周しているようである。

太陽を中心に雲が居座っているのでそのように見えるのだろうか。30分程

経過すると今度は太陽の西側が濃く見えた。汗出す仕事の合間において

その神秘的な光景は目の保養となりました。

  いっつも話ばっかじゃあかんから皆さんにも!見難いのでサムネイルで。



01 月 10 日(Saturday)
  昼前から冷たい雨でも降り出しそうな空模様。池の氷もぶ厚く張っていた

らしく、父が割って拾い出してくれていたようで池の脇に山積みされていた。

  『昨日お前が庭掃除しといてくれてよかったわー。霜柱で掃けんかった。』

と父。なるほど・・・そのお返しね。

  灰色の空の下で鵜が冷たい池に入って水を浴びている。尾白のみ軒下で

まだ眠いのか、寒いでか・・・首をすっぽりと体に埋めている。暖かさに慣れて

しまっていた人間もまた首をすぼめて。昼のお客様達が向かいの石畳通路

を厚いコート着で歩きゆく。

  昼から昨日の残りの松丸太を切り分ける作業をした。明日から松割り開始

だな。小瀬の田園風景にガッツン、ガッツン響き渡ることでしょう。

  最近長良川の写真をアップすることが出来ない。言い訳ですが冬の風景

で雪のないものは閑散としていて・・・実に淋しいんです。寒バエは居らんし

おかげでカワセミも目にせんし。カワウはそれなりに絵になるのだが来ても

らっては困るし。日増しに増えるのはカラスぐらい。カーカー、ガーガーと

やかましいんじゃ〜〜!。 あ、でも小瀬の川に新しい顔もやってきました。

春の訪れ。シラメの大群です。

橋の上から50匹ぐらいの小さな群れしか見ていないが、一つ上にはかなりの

数が群れて来ていると師匠に聞いた。そういや昨年も半端じゃなかったっけ。

川底に30m程度の楕円形”ぶくぶく”があるんじゃないの?と思えるくらいの

水面の泡波が出てました。

  でも今年。どの川でも寒バエが不漁だと耳にしますので不安です。つまり

カワウが血眼になってやってくるわけですから。シラメはこの時期居つかずに

下流へと下りますんでね・・・この真裸の長良川砂漠を。

 


01 月 11 日(Sunday)
  朝鳥屋の掃除を終え、昼飯前に1時間程薪割りを始めた。

久々に斧を持つと手には余計な力が入ってしまい30分と経たないうちに

血豆が2,3出来てしまいすぐ様潰れる。

  昼からもひたすら松割りに徹す。まずは大割りといって鵜飼に使う大きさ

(小割り)までにはしない。生木のうちにこれをやっておかないと後々割りにく

くなる。一つの丸太に多いもので七つもの節があり、各々真芯を打たんこと

にはパックリ割れてくれないんです。なんとか半分の量を終了した。



  3時に鵜を籠の中に入れに行くと握力が抜けてしまってて、上手く片手で

鵜の翼を二枚掴めれない有様。

  4時から”おひまち”(持ち回り順に家を提供。そこで町内役員選出、食事

等を新年会兼ねて行う)に向かう。取り決めが終わると酒の席に。

『お日様待っては朝になるとお宮さん参って、ほんで『どんど』して餅食べて

帰ってきよったんや。』

『盛り飯っちゅうのもあったな〜。御馳走さん、ちゅうて御礼の言葉ゆうと本当

に山盛りのご飯が出てきてな〜、あれ食わな帰れんかったんや。それで皆

腹すかせて席についたもんやったや。でな、”今年からやめ”の御触れが出

てたおひまちの席でいつものように腹すかせて、食事も控えて最後の盛り飯

に挑んで・・・ようは忘れとったんやわな。かなりの人間が帰ってから飯炊い

たと聞いとる(笑)。』

『うちの親父の頃は一晩に酒が10斗無くなったんやで。信じれんなも〜。』

『あの人の親父さんは正月早々2日で2斗飲んだって言うとったし。2番町は

(うちらの町内)はどこの誰にも負けんでなーと意気込む人間ばっかやった』

確かに昔のここいらの人間は凄い顔しとったわ・・・。(参考写真下)』

『あっこの親父さんのころはおひまちに芸者さん呼んだこともあったな〜。』

『ここいらでうちらも改革しよまいか?なぁ?』

『そうや!そうや!』 『そうしよまい!』 

  テレビなどの娯楽もなかっただけに酒、白米に喜びを噛み締め、太鼓や

笛持ち寄りて神楽等。地域生活が様変わりした現在において、形だけの慣習

だけではなかなか存続しにくい。

  僕は歴史を担う人間として爺さん連中から古き時代のことやしきたり等を

聞くのは嫌いでないが、中間世代はことのほか嫌う。潤滑油となればいいし

何たって楽しくなけりゃ〜あかん・・・とゆうことで僕も大賛成である???

町内費の増加は避けられんし、見たとこ賛成中立反対は4:4:2といったとこ

『次世代が出てこれるような雰囲気作らんとな?逆に俺が出るって喧嘩にな

るかな?』

  何といっても若い人間が、子供に愛されるような町と年寄りじゃなきゃ〜?

その地域のお年寄りを見れば町の活性具合が推測できるように思えます。



01 月 12 日(Monday)
  友人が割りやすい松丸太を午前中にやっててくれた。大変有難かったが

おかげでフランス料理のように食べにくい丸太ばかりがが残った。一つを切り

分けるのに渾身の力込め続けて3分かかるのだから・・残る丸太はいわば

盛り飯状態。大変苦痛である。とはいえ夕方には9割終了。血豆の後にまた

新たな血豆も出来ました。とほほ・・・

  夕方その知人に餌やり風景を見せてやろうかと鵜部屋へ向かう。

その大男の背格好ゆえ鵜が怒り声を出していた。彼が去った後、しばらくは

その部屋で座り込み、鵜たちに声をかけてなだめた。明日餌戻しとらんかっ

たらええけど。


01 月 13 日(Tuesday)
  午後から空が荒れてくるとゆう。午前中の散歩時には西、東に発達した

積乱雲が見えているものの上空はまだ青空が広がっていた。

  帰って鵜部屋の掃除をしていると 『 来るぞ〜、急げよ〜』 と父の声する。

数分経つと突風が吹き始めた。鵜が飛んでいってしまいそうなほど。今日

は外仕事も長くは出来なさそうと思い、少しでもと残った松を割ることに。

これでもか〜!ってな程によじれた丸太が1つだけ残っており、実は昨日

何度と斧を振り下ろした結果諦めたもの。なんとか切り分けることが出来た。

その振り下ろした回数はこれ一つだけで百に及んだ。ほぼ終了。

  雪も降り始めてきたので早々と鵜に餌をやった。(今朝。やはり若い鵜が

一羽餌を丸々吐いていました。)裏手の長良川を望めば降るとゆうよりは横

から飛ぶといった表現が当てはまる雪の状況。

  夕方犬の散歩時にはさらに酷くなっており、いつもの距離の半分のところ

で既に全身雪の衣を纏う羽目になったので走って戻った。

今晩のうちに雪が積もりそうだったので冷凍屋さんに鵜の餌を取りに車を

走らせ、家に戻れば岐阜新聞の記者さんから先日取材した原稿のFAXが届

いていた。目を通せば 『俺ってこんな過激なこと言ってたっけ?』 と驚いて

しまう。新聞だけに要注意と言葉を柔らかく直させていただいた。

  15日付の岐阜新聞朝刊から連載スタートするそうです。大変興味のある

内容のものとなりそうです。

P・S 7日の日記におきまして新聞社の名前を間違えましてしまい大変申し訳
    ございませんでした。ここで謝りの言葉とさせていただきます。


01 月 14 日(Wednesday)
  窓の外には薄っすらと雪化粧をした田園風景が目に入る。今日も寒い1日

となりそうだ。このところ世間ではSARSよりも実際に日本で発生したとゆう鳥

インフルエンザが問題となっている。保健所からのお達しが無いところから

鵜への感染は大丈夫なんかな〜?と呑気に構えてはいない。

  以前ニューカッスル病?が流行し、岐阜も小瀬も過半数の鵜がやられた

ことがある。40年ほど前のことで患って死んだ鶏が上流から川を流れて来た

せいだと巷では伝わっているが、当時どこの家でも養鶏が行われており実際

は?である。

  鵜部屋は毎日欠かさず掃除しており清潔には務めているが、ここ数日前

から池の水だけは貯めないでいる。素人で詳しいことは分からないが鳥類全

般に及ぶものならば、頭上を飛ぶ鳥達の糞やらで池の水が媒介ともなるの

ではと・・・・う〜ん、う〇こ出る前に紙で拭くとゆう滑稽なことをしているかも。

そこまで神経質になる状態には至っていないが詳しい話が聞けるまではそう

するつもり。ちょうどこの時期は池に氷が張って大変だしね。実際他の関係者

も気にはしているようで昨日も犬山の知人鵜匠からメールが入っていた。

(参考になりました。ありがとうございます。)


  新鵜がしばらく来ないうえ(今年6月から再開の目処が立ったとの記事を

本日見る。)鵜がいかれてしまったら、うちら鵜匠はお手上げである。昔と

違って国の管理は強化されていることだろうが・・・わからん。

P・S 長良川に関する岐阜新聞朝刊の連載は16日からとなるそうです。


01 月 15 日(Thursday)
  妻子を迎えにいざ行かん!!!雪見旅情。

  鵜に餌をやって3時に福井へ向かうこととなった。出かける間際父が念の

ためにスコップ持っていきなさい?そんなに雪降っておらんのになー・・文句

言いながらも一応持っていきました。

  郡上辺りまで来ると道路脇にちらほら雪が見える程度と知れていた。友人

であるフランス人も同行しており、雪景色の写真を撮れたらいいがなと。雪が

無けりゃ〜冬場は閑散とした淋しい景色が続くだけ。半分諦めながら九頭竜

峠へさしかかりゃぁ、・・・何の何の、山は素敵な雪化粧をしており、路肩に停

めて何枚も写真を撮ること繰り返し結果80枚に及んだ。到着は1時間遅れて

7時になる。



  着くなり坊主の泣く声が聞こえてくる。どうやら僕の夜の行動予定を妻は察

しており、寝させておいた様子。それを起こしてしまったんだ。でも僕の姿を

見るなり寝たままの格好で両手を広げ足をバタバタしており、胸も熱くなる。

ぎゅっ、と抱きしめると 『お父ちゃん・・・ヒゲ伸びたね〜』 ・・・・(笑)

  御馳走頂いたら、『芦原温泉街→福井デズニーランドコース』 は言うまでも

ありません。妻の従兄弟も誘って行く。

  皆に教える。『こ〜やって・・・こうするとー・・よ〜釣れるんや!分かった?』

従兄弟3匹。友人2匹。妻(僕と交代した僅か5分間で)2匹。坊主1匹。そして

僕は前回5匹釣り上げたんですよー。5匹!!!

今回は店の親父さんが僕の形相見て10分ほどサービスしてくれました。

『今回はうまくいかんね〜』

今回の成果は1匹。・・・・・んにゃ、数じゃないっす。とほほ(苦笑)


01 月 16 日(Friday)
  『お父ちゃん!僕、こ〜んな大きな魚は・・・釣れなかったね〜。でもこ〜ん

くらいの小っちゃな魚は・・・1匹釣れたね〜』 朝坊主を起こしてしまったかと

思うが目は開いていない。よほど釣りがいいらしい。また眠りについた。

  海辺で冬の日本海の荒れた様子をしこたま撮っていたら、9時に出発する

はずが10時となってしまう。穏やかな日本海もいいが僕はこっちの方が好き

である。荒波が岩にぶち当たり飛沫上がるのを見てると『東映』の文字でも出

てきそうである。一昨日には6mの高波が出る大時化であり、波の花が舞って

いたらしい。坊が来るのはいいが帰るのがな、と淋しそうにうつむいて呟いた

大御爺さんを尻目に、素っ気ない表情で坊主と別れを告げた。しばらく車内に

居るかが分からんぐらいの静けさだったのからすると、それなりの気持ちが

あったんだろうか?ただ眠そうに映りもした。



  途中のことは車が側溝に落ちてしまい書く気にもなれない。ただ電話が繋

がらない為にJAFに連絡しに妻を道の駅まで乗せていってくれたお兄さん、

呼んでもいないのに車を停めて僕の車を押すのを手伝ってくれたスキー帰り

のお兄さん達、昔同じ境遇に遭ったと手袋までして手を貸してくれた御夫婦、

横にビタ停めして 『引っ張ったろか?』 と工具やらワイヤーを出してくれた運

送屋のシブイお兄ちゃん、最後に引っ張りあげてくれた山岳パトロール隊の

方々。その他心配して声をかけてくれた皆様、本当にありがとうございました。

あと父がスコップ持たせてくれたことには本当に感謝です。一人脇で野グソ

こいてた坊主を除いて。

  おかげで無事夕方までに帰って鵜を庭へと出してやることが出来ました。

今晩イラクへ自衛隊派遣。日本人のほっとけない優しさが出るといいが・・・。

荒れ狂う日本海。今日もまた一寸先は闇であった。


01 月 17 日(Saturday)
  また今日も寒いこと。朝から雪が絶え間なく降り続いているが積もるほど

でもなし。車の牽引フックのカバーを外したままだったのを友人が気づき

装着してくれると言うのでお願いした。忘れていた昨日のことを思い出す。

  降り止まぬ雪を傍らに軒下では鵜達が一心に毛づくろいをしている。

  そろそろ餌の準備でもしようかとゆう時、犬のチビがけたたましく吠える。

俳句をしているので見学を云々と5名ほどの御夫人がたが訪れた。老爺柿を

見つけて珍しそうに見ていたので教えてあげる。しばらくしてからも見入って

いるようだったので 『普通の柿のように甘いんですよ。』 実は以前ちょっぴり

舐めたことがあったのです。

『食べてみてもいいですか〜?』

『えっ?!・・・・ええ、いいですよ。』     ガブっ。ムシャムシャ・・・。

『あ、甘いわ〜。』            ほっほ〜そうですか。そうですか。

 寒村の 雪舞い落ちる 屋敷の庭にて・・・

         老爺柿 美味と知るは 若鵜匠 (笑)

  十数年前にも寄ったことがあるとかで当時父と池の掃除をしていたのを

俳句に詠んだらしい。初々しい若き少年と今のギャップをさぞ感じられたこと

でしょう。昔の姿を知っている人との会話は嬉しい反面、大変恥ずかしいもの

ですよね。川の姿もまた同じ・・・。







01 月 18 日(Sunday)
  今日は『やさやさ祭り』で朝8時前から夕方まで。。この祭りは子々孫々と

受け継がれる性質故に、戦前までは『系図祭り』と言われていたようです。

  早朝から”あや笠”作りをする。あご紐とする麻をなう(左綯え)ことから始め

次いで”ちらら”(和紙を七、五、三の蛇腹状にした垂れ)、”ずっこ”(笠のてっ

ぺんに付ける筒状のもの)等を作って最後にその表に『鶴亀松竹』の文字書

いて出来上がりだ。その数は十二。それを午後になると小瀬の八幡神社内に

鎮座する春日神社本殿にお供え物と一緒に奉奠するのです。

  午前中のあや笠作りが済んで直会(なおらい;食事)が終われば、田んぼ

道を自転車で走らせ鵜のことを済ませる。再び今度は八幡様へ。

  宮司さんと取り持ち衆の準備出来るのを待っていると、杉の木で囲まれた

本殿上空には供物狙ってか、知らぬ間に数百羽のカラスが旋回している。

『鯉を持っていかれちまうぞ〜(笑)』

しばらくすると本殿前にて祝詞が読み上げられ、その後拝殿に居直ると太鼓

の音とともに先ほど作ったあや笠を頭上に掲げながら・・・

『や〜さ、や〜さ、ちらら、・・・・わ〜〜〜!!!』

と唱和しながら対座した12人が、あい詰め寄るんです。昔はここでかなり激

しい押し合いがあったらしい。ここの神社の拝殿が類比なき頑丈な格子造り

であったのはその為だったとか。ただしこの格子は明治変革期にこの激しい

押し合いに対する粛正が行われたので取り外されたそうです。

今に残る地域行事等は何事もすべてに意味があるのだが簡素化に向かっ

ており、歴史を担う若い人々にとってみれば親からの口伝えはされておらず

『意味』も『何』も見えてこないのは当然か。。。

  祭りとは言っても昔のように格子越しの見物人はもちろんのこと境内には

関係者数人以外誰もいない・・・いやおったわ。濡縁に一人うるさいのが。

静かな小瀬の境内にこだまする。

『お父ーちゃ〜〜ん!!!』

『こっ、こら・・・静かにしてろって(苦笑)』
                                 
                  
                     参考資料 『岐阜県の祭り』 清水昭男著
 


01 月 19 日(Monday)
  朝のうちは天気が良かったものの午後になると北の山が暗くなってきた。

鵜部屋の掃除がまだ済んでいなかったので急いでいると、山木の伐採をした

ので松木は要らないかとの有難い電話が入り、至急軽トラで向かう。時間が

あればと数ヵ所の町の伐採地へ出かけた。まだ切り倒していない大木もあり

これもどうかとおっしゃられる。すぐ隣には松食い虫にやられたものが数本見

られたので放っておけばこの木も・・・と納得する。もちろん願ってもない代物

でした。このような歳月経た大きな松を無駄なく使うために、特に太い根元部

は41cm単位で切り分けていただくようお願いする。

  最後の伐採地においては量が少なかったので軽トラに乗せて持ち帰った。

鵜に餌を与えた後は、日が暮れるまで斧を振るう。ひたすらに斧を振るった。

明日も、また明日も・・・

  山からの松木に、また連絡していただいた方に、そしてそれを行える自分

の手足肉体に感謝する。今夜は鵜飼や長良川に関する古い文献に目を通し

ており、その著者らがされたであろう情報収集の努力を思う。

  今の時代、なかなか目にすることは出来ない人種。世のため、人のため、

後世のため・・・その思いが強く感じとれる序文のものばかり。またその著者

らの気持ちに心から賛同した人物のなかには、なぜか今の政治家の一世代

前の名も・・・。やはり団塊の世代。思いは伝わっていないようだ。

  本日より岐阜新聞の連載企画 『山河なき川は』 がHP上に上がりました。

トップページの新着情報からどうぞ。


01 月 20 日(Tuesday)
  このやろっ!なかなか割れな〜い(汗)と太い丸太に手こずり、息を荒げて

腰据える。と、枝先に黄色く花開いた蝋梅が目に入った。庭で鵜が羽広げて

乾かしているのを見ていると、日の光の当たる面積が随分広くなっている。

鵜の羽艶も日増しに美しくなっていく。

春の足音が一歩一歩、確かに近づいているようだ。


  明日は友人が国へ帰って行く。僕がパソコンやりながら聞いていた音楽を

気に入ったらしくて録音させてくれと言った昨日の深夜。しかしうまく落とせな

かった(苦笑)。森山直太郎の『夏の終わり』だったが季節はもう冬の終わり。

だから『さくら』のアルバムを購入して、彼への餞別とした。


 ところで明日から餌の量をもうちっと増やそうと思う。というのも餌の済んだ

奴が籠から出て来ては羽で”よこせ”と言う・・・。無視して次のに餌やってると

バケツに首突っ込んで来ては魚と間違えて僕の手を噛む有様で。

  痛い痛い。。。

 


01 月 21 日(Wednesday)
  鵜部屋の掃除をしていると妻から昼飯との声。服を着替えて家に入ろうと

すると通路に石油が溢れていたのでビックリ。

だ〜れ〜の〜仕業じゃ〜!(怒)・・・・聞いて見てビックリは妻でして、申し訳

なさそうにして謝っていた。当然(笑)。通路の側溝に結構入り込んでいて飯

食うところやない。流れずに溜まっている状態でとりあえずは安心とはゆうも

のの急いで新聞紙を投入するがさほど効果はない。そこで妻は失敗を払拭

すべく機転を利かした?

  残っていた坊主の紙オムツ、更には父が病院生活の際使っていた大人用

オムツシートをどこからかひっぱり出してオイルフェンスならぬオムツフェンス

で危機を免れた。とどめに畑から土を持ってきては投げ入れて・・・。終わって

みれば妻のおかげで側溝のドブ攫えが出来たとゆうわけだ。

  その土を取り出していると薄汚れた100円硬貨が出てきた。昭和43年と

刻まれている。これも何かの縁かなと・・・(えん繋がり(笑))ネットで調べる。


  西暦1968年。僕の生まれるだいぶ前なんだが結構知ってることや、妙に

今との関係が深いことに驚いてしまう。この年はちょっと?暗ーい年でした。

●アメリカはベトナム戦争の真っ只中。旧正月には同時多発攻撃するも開放
  民族戦線に撃退される。
  米インテル創立。

●日本では”ノンセクト” ”ノンポリ” の流行語で分かるように、学生紛争真っ
  只中。翌年の大学試験も中止されるまでに・・・。
  『自衛隊に入ろう』 なんて曲もこの年は日本中に響いておりました。
  えびの地震。十勝沖地震。3億円事件・・・・・・・・・・・・・ほっ、欲しい・・・。
 
〇少年ジャンプ等の創刊。漫画じゃ『巨人の星』『あしたのジョー』『ゲゲゲの
  鬼太郎』『妖怪人間ベム』etc.など。

●チェコでプラハの春。イラクでは無血クーデター。イランでは大地震。

  いくつもの大きな事件が目立ちます。なんか・・・歴史は繰り返されるとゆう

か大きな事件ばかりが目立つ昨今でございまする。いかにも寒〜い。

  今日頃は大寒といっても寒くてかなわんほどでなし。ただ明日は相当冷え

込むらしい、と天気予報で聞く。ではおやすみなさい。



01 月 22 日(Thursday)
  緑中の生徒さんらが来るのっていつやったっけな〜って、カレンダー見

ると・・・今日やん!何聞いたろかなー。何しゃべろっかなーと楽しみながら

長良川の堤防を散歩した朝。寒くないの?土手下を同じく犬の散歩している

近所のおばさんにそう言われる。水たまりは薄い氷が張っているだけであり

風も吹いておらず、それ程ではと答えて。

  ただ昼過ぎからはその寒いことったら。鵜も早々に鳥屋へと入れてやり

学生さんらも旅館の中でストーブ焚いてのこと。4人の中3坊主達に長良川

や鵜飼のことを懇々と熱く話す?中には留学が決まっているだの刃物関係

の息子さんやらがおり、ちょいと地元を離れるとやら小耳に挿みもする。

帰郷してから国やら町の良さを再確認するのもええが教科書以外のもんを

持っていったほうがええぞ〜、ハングリー精神やぞ〜、鵜を見てみ〜・・・

異国で薄っぺら〜見られるなよ〜、歴史ある日本人やぞ〜兄ちゃんええこと

言っとるんやで〜と口添え。濃密な30分(僕にはこれが限度!)を終え、鵜

の仕事があるからあとはくつろいどってとジュース置いて席を外す。

15分ほど経ってから僕も喉が渇いたからと戻ってみれば、何やら笑いを堪

えているので教えてくれよと頼むと4人の目線がペットボトルに向いた・・・・・

空っぽだ。『ハングリー精神ですよね』って違う、違〜う!

まぁ面白い『緑三中』でした。つもりは無かったが面白い連中だったので鵜

に餌やるとこを見せて帰らせた。

  夕方には板取森林組合の方が伐採木の松を持ってきてくれた。この寒い

のに大変有難いこと。若い青年の鼻にはキラリと光るものさえ見えていた。

ゆうに一抱え出来る大きさの丸太はうちのチェーンソーではちと無理そうで

切ってもらった。作業が終わってお茶を飲んでもらいながら山や木や川の

話となった。頭らしき人と話していたのだが静かにうなずく人あり。帰り際に

その方がいつでも『遊びに』きますんで電話してくださいねと。こんな若造の

話に御理解を頂き大変嬉しく感じた。(涙&合掌)


この静かに降るのが一番積もるんやってと妻。確かに今とっても細かな雪が

ひたすら降っており、着実に厚みを増している。実家の福井県の海岸端も

久々の積雪で50cm積もっていると先ほど電話で聞く。田舎ゆえに除雪車

がやってくるのは最後とのこと。会社帰りは倍の時間がかかったとか。

  明日の朝の通勤は皆さんお気をつけて。間違っても田んぼやら側溝には

填まらないように・・・。


01 月 23 日(Friday)
  お〜!!再び銀世界を拝めるとは何とも幸せである?爺が昨年末の大雪

降った後に作った手製のそりがついに・・・日の目を見た。鵜部屋を掃除して

ると旅館裏の坂で二人してキャッキャ言う声が聞こえてくる。一方鵜たちは

庭へ出してやることもできず狭い軒下の空間で毛づくろいしてる、の図。



  昼過ぎに知り合いの人から円空芋を頂いた。その彼が元は鵜飼遊船舟の

船頭ということは知っていたが、いつも父母と会話するくらいのもんでして。。

ちょっと当時の鵜飼やら川について聞いてみることにした。すると普段はただ

の老いた年寄りとしか見えなかったが、話していくうちに眼光が鋭くなってゆき

しまいにゃ 『まだ今の若い船頭にゃ〜負けんわ!』 ・・・ですわ。(汗)

  まぁ、体力的に?だろうが現在の一等船頭らが尻ごみするよな激しい落差

ある場や激流のぶち当たりなども経験からその術を体で知っていることは否

めないところ。木造の堰堤などで垂直にジグ、ザグとなった激流の場なんか

瀬を落ちるや否や、岩壁に激突する前に舳先(舟の前方)へと走り行き、竹竿

で突っ張って回避する、の繰り返しなど。などなど。。。しかも一人で。舟は石

の重みで沈みこんでおり舟縁は川から10数センチしか出ていない状態で、

である。そう・・・彼は石舟の船頭であり、川床の石は運んでいたからもちろん

のこと当時の川の状態を(漁師と)違う目線で記憶してる。


『わしんらのころはやな〜、後ろからよ〜(;しっかり)(術を)見てついて来い、

だの見て覚えるしかあらへんかったでなー?今のように手とり足とり・・・』

う〜ん・・・確かに。ただ、そのような自然の力溢れる当時の長良川で、また

生きるため必死で体得する『術』を目にすることが出来たことがすっごく羨ま

しいのは僕だけ?じゃぁ〜見ておれよーと実践できないヘタった今の長良川。

ゆえに年寄りらの話に耳を傾けれない人間が出て当然かなと。。。年寄りの

話はいっつも同じことの繰り返しやし???生活スタイルの変わった現代の

田舎でうまく歴史が伝わらんはずである。

  ただやはり彼が凄いと思ったのは長良川水位が2m下がったと言ったこと

であり、岐阜新聞の記者に問い合わせたところ驚きました。彼も正月に調査

したところぴったり2mだったと聞いて・・・。年寄りは馬鹿にするもんでない。

去年、岐阜の先輩鵜匠が僕に言った言葉を思い出す。

『昔の鵜飼を知る人間がおらんくなる。よ〜く聞いとかなあかんぞ。死んだら

何も聞かれんぞー!』

                                       確かに。。。


01 月 24 日(Saturday)
  犬のメル、チビ連れて堤防の上を坊主と一緒に散歩している。風吹かない

鏡のような川面には、相変わらず魚の波紋は見えてこない。水鳥たちは捕食

できているんだろうかと疑いたくなる。白鷺はただただつっ立っており、カワウ

は時折一羽降り立つもののすぐに飛び行く・・・カラスに追われてグワッグワッ

と泣きながら。カワセミは大丈夫だろうか。1羽が水面近くを見えなくなるまで

一直線に飛んでいくのを見た。後に鮎之瀬橋の上から眺めても浅瀬にはその

捕獲対象となる小魚1匹見えない。自然動物の生活バランスがとっても傾い

てしまってるようだ。。。河川環境の悪化は雑魚を減少へと追い込み、増え続

けるカワウが王手をかけている。今頃どっかに残された聖域を何百羽が攻め

込んでいることさ?だけど田んぼじゃないが要らなくなったマネキンでも川原

に置かんことにはどうしようもないかー?漁師らは既に『川遊び』を諦めてるの

で鳥達の”一応”は楽園とゆう形になっているのだから。。。

 
  昼からチェーンソーで松丸太を切り分けていると、妻が旅館の掃除をすると

のことで頼まれた坊主が傍らをうろちょろしておる。父が掃除しながら面倒見

てくれているようだったがやり難くてかなわん!おまけに言うこときかんので

父はちょいとご立腹気味。。。そんな時にうちの坊。ナイタイミングで雪どけの

泥まみれに尻餅ついてくれました(大爆笑)

『お〜い!大変やー。坊主がビッタンコになってまったぞ〜。かわいそうやで

連れてったってくれー。』


『ママー、見て見て〜!ビッタビタやよ』

                             今度はあちらでご立腹・・・


P・S * HPの更新が出来ずにかなり焦ったのは晩のこと。。。あいや〜!

ウィルスメールを開けてまった〜???!!!。でもこちらはaitai-netで添付ファイル

を削除してもらってたし。なぜ?眠れない夜・・・


01 月 25 日(Sunday)
  朝堤防沿いを散歩してると野良猫をうちのチビが追いかけて行ってしまい

必死こいたその猫ちゃんは逃げながら離れた木に横っ飛びして頂上まで

よじ登らされた。帰る頃にはいないだろうと・・・まだ居た。。。

 昼のお客様の準備をしてると後光さした仏の姿を見てしまう。目擦ってよく

見てみるとケタロー師匠じゃありませんか〜!僕の阿弥陀仏・・・じゃなくて

留守電での涙ぶつぶつ・・を聞いてはるばる名古屋から来てくれたー(嬉)。

容量の10Mを超えているせいだと聞き一安心。しばらくはiswebの無料

サーバーにお世話となります。皆様ご迷惑おかけします。

  表の駐車場で松を割ってるとあっとゆう間に血豆が出来て、痛っと言う間

に日も暮れてゆく。寺の鐘の音聞きながら坊主と犬の散歩へと。今日は何か

と目を疑いたくなる日だ。まだ・・・居るのだ。辺りは暗くなってきているのだが

それでも分かる。姿が訴えてくる。6mある木の一番上から。

『我輩は降りられん猫である』      ・・・・・

モズの餌のように凍死した猫を見たらこれから散歩も出来やしない。

猛ダッシュで家へ向かいノコギリ持って再び現場へと戻るとその土地を所有

する方の姿。ちょうどよかった。経緯を説明する。

『おらーまた鳩でも狙っとるんかと思ったわ。けど朝からず〜っとあのまんま

やしな、石投げてもピクリともせーへんで何かと・・・。木は切る予定やったし

構わんよ。』 とのこと。

 枯れたアケビの蔓が頂上までぐっちゃぐちゃに絡んでおり、こりゃ降りられ

んわなといった感。逆によ〜登ったなと。お父ちゃん頑張れ!の声に励まされ

ながら真ん中までよじ登り8割ほど切れ目をいれた。あとはちょいと押してやれ

ば絡まった蔓のおかげで可動式の吊橋のように地面から1mのところへ。

  その猫。ちょいと間をおいてぴょんと飛べば感謝していいもんやら恨めしい

やら。そそくさと竹藪の中へと逃げていった・・・。


01 月 26 日(Monday)
  日の暮れ。鵜の餌が済むと堤防を坊主と散歩していた。

『♪夕焼け小焼けで日が暮れて〜・・・おっ!』

この前宇宙人さんが教えてくれて調べたサンピラー(太陽柱)が出ていた。

以前掲示板で紹介した、厳寒時に地表近くで見えるそれとは違う代物でして

他のサイトで見た夕日の真上に垂直に切り立つもの。山に差し掛かるほんの

数十秒しか見えなかったが実に珍しいもんを見させてもらった。

『おい、あれはサンピラーって言うんやって。』

『えっ!きんぴら?』 ってうちの坊主が・・・・・・・・・言うわけないし。









01 月 27 日(Tuesday)
  北海道や日本海側ではずっと雪が降ってるようで毎日同じことを言い及

ばないのがテレビだが、妻の実家はえらい事になってるらしい。

  福井県。昔はもちろん積雪も多かったのだが、これほどの日数降り続き

毎朝車を出すために雪かきに追われることは珍しいとか。

  僕はここ数日HPの更新にエラーの嵐が降り注ぐ・・・ここは岐阜県。





01 月 28 日(Wednesday)
  どこを調べても書いてない。母屋はいつ頃建てられたのか・・・。十六代目

からは250年前に建てられたものだと母が嫁入り時に聞いてると言うが。。


  朝から夕方まで宮大工の棟梁らが、梁やら屋根裏やら懐中電灯で照らし

て探しているが見当たらない。どこかに記されているはずだと。

  昼から知識人に来ていただき、古文書等も手当たり次第に探ってはみた

ものの関する記述は出てこない。よって路線をずれ家系図を探るこになる。

おかげで大きな発見とゆうか推測が進む。これは『鵜の家』の『歴史を探る』

ページで近いうちに更新予定。うちの母屋も今年改修予定だったが待ったの

声がかかってしまう・・・なぜにっ?宮大工さんによればこの鳥居造りの梁の

建築方法は400年前からあるらしく、改修してしまえば正確な経過年数を辿

る証拠が無くなるかも、とゆうことでした。

  そうこう話している夕方、伐採の松がまた新たに今日も到着。明日からも

再び斧振る毎日が始まる・・・。

  ところで今日からやっと再び更新することが出来るようになりました。

ケタロー師匠のおかげです。本当に感謝。。。




 




01 月 29 日(Thursday)
  今日は三味線の稽古日。来月お師匠の旦那さん(柄巻師)を祝う会が催さ

れることになりまして、そこで僕が長唄『小鍛治』の歌い手をお願いされた。

お師匠の演奏にて齢90のお爺さんと二人で歌うのだが、このお爺さん結構

凄い方でして・・・ちなみに古文書の類も博学だと聞いており、夕方の稽古後

に我が家へ来ていただきました。人によってこうも解釈が違うものなのかと

改めて驚き、更なる豊富な知識を得る。昨日の方の解釈は偉く違ったよう

でして・・・納得。

  ところで昨晩より坊主が風邪を拗らせたらしく今朝がた病院へ行く。今晩

は空気が非常に乾燥しているせいかやたら喉が渇く。風邪もうつり易いこと

だし気をつけよう。。。


豆知識;

『〜左馬助』とか『〜左衛門尉』、『〜刑部少甫』、『〜佐渡守』、『〜図書』と

いった姓の後の名は”受領名”と言いまして、実際の役を意味するものとは

限らず、ほとんどが皇室に金品を献上することによって与えられる名だと。

今で言えば●×大学出の△議員とかゆうもんに近いかな・・・。

                             僕?・・・高卒の田舎鵜匠。

 


01 月 30 日(Friday)
  しかし何かしら淋しいとゆうか物足りない1月である。昨年なら空いた時間

に川へと走り、鵜への生餌となる寒バエ獲りをするのだが今年は全くおらず

いるのは水鳥のみ。奴さんらも魚がおらんことで生きるに大変かな?川を

散歩しながら、同情しつつも足元の石っころ掴んで投げてしまう・・・・

  このような馬鹿なことをしてても何かしら発見はある。例えば鴨の場合は

ドボンと音がするや否や一斉に飛び立てど間もなく着水。鷺はとゆうと石を

持とうとして頭を下げた途端飛んでいく。羽ばたきが遅いからちょいと早めに

失礼!とゆうところかな。カワウの場合すぐに飛び立つものもおれば脇に落

ちてもきょろきょろしてるだけのものもおり、けっこうずぶとい。その代わりに

次の着水場所を決めるのに幾分時間をかける、など。

  大人がいい年こいてすることじゃ〜ありませんがね、子供の悪戯っちゅう

もんは何かしら学習があると思えるので、あまりダメだめ言うのも良くない?

そういや某昆虫博物館の館長さんも言ってましたっけ。子供の頃蛙の皮を

剥いだり虫の足を引き千切ってみたりと結構残酷なことをした結果、その命

の大切さを教えてもらった、と。。。

  う〜ん確かにそうかも。僕もおたまじゃくしの口ん中にたらふく砂を詰め込

ませたり、蜂にタ●スコぶっかけたり。蛙の尻にバク〇ク突っ込む者もいた。

そのくせ子供にはそんなことしちゃ〜あかん!と叱る。

  そう、やはり命の尊さを教えてもらったようである。かわいそうなことに今

の子らにはそれを経験出来る環境が減ってきているんだよなー。そのうち

『ねぇ、父さん!これ見て』

『おいっ!そいつは絶滅危惧種のカエルっちゅうもんやぞ〜!』
      
ってなことになりかねん?二年連続して鵜に丸呑みされ、帰らぬカエルと

なったトノサマガエルもかなり減ってきていると聞く。子供の頃庭でたまに

見かけたオオナナフシなんかは今もどっかにおるんやろーか?



01 月 31 日(Saturday)
  今日で1月が終わるなり。1月は睦月、英語でJanuary。

 昼過ぎて、仕事合間に残りの松丸太をチェーンソーで切っていた。およそ

六つ切ったところで石っころ噛んでしまって、もう切れんじゃな〜い・・・。

  夜はお客人あって妻の代わりに坊主の相手してると、風邪をこじらせてる

せいかいつもに増してやんちゃくれ、今晩坊主はええ子じゃね〜なり・・・。

今日の日記、ただの駄洒落〜、じゃな〜ぃ・・・。