†  Diary - 2003/12 -  †

123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031

| 一月戻る | 1日戻る | 1日進む | 一月進む |



12 月 01 日(Monday)
  今日は大寝坊してしまった。

いつまで寝てるつもりかと嫁に叩き起こされ、階下にいらっしゃってた古田さん

とコーヒー飲みながらしばらく会話した。

  鵜の餌の前、夕方前にちょこっと対岸へ足を運ぶ。西日がいつになく強くて

夕日もさぞかし美しいことだろうと思い、まだ水位が高いため漁を諦めて家に

戻り、網の代わりにカメラ携え日の入りを待った・・・。10月25日以来の大変

美しい夕焼けとなり、その色が冷めるまで見とれてしまった。



12 月 02 日(Tuesday)
  友人が朝から何やら作っている。三日ほど前に鵜飼の客船を写真に収め

ていたのは知っていたのだが、計測して設計図まで作っていたことを昨晩に

なって知った。

  鳥屋の掃除をした後、台風の風によって散乱した木の葉の掃除。まだまだ

風は強く吹いており丁寧に掃き取ることは難しく、おおまかにして終える。それ

でも夕方までかかった。

日の暮れるまで父は『亭』の机となる船板を磨いており、友人はミニチュアの

船を二隻作っていた。

  昼前、嫁が子供とクリスマスツリーを押入れから出しては夜に作ってた

フエルト飾りをつけていたので、言われる前に表の槙の木に電飾をつけた。

    


12 月 03 日(Wednesday)
  満天星(どうだんつつじ)の落ち葉が庭の苔の上に降り積もるようになった。

夜には寒気も下りて初冬の兆しをやっと肌で感ずることが出来た今日・・・

  あちらこちらで寺のすす払いが行われたように、我が家も師走らしい月初

めとなっている。今日は母屋入り口の番屋やメル(犬)の小屋周りを一掃。

ガレキやら燃えるゴミ、庭掃除によって出た落ち葉等であっとゆう間に軽トラ

はいっぱいになってしまった。

  ここは田舎もあって寺の集まりやら会合やら忘年会でかけずり回ることと

なる。そう思うとやらねばならぬ仕事、掃除であっとゆう間に残り一月は過ぎ

新年を迎えることになるのだから残りの一日一日は大変貴重に思えてくる。

  年が明けて残った仕事はなかなか終えることが出来ない僕には尚更・・・。

かけずり回って年が明ければ、皆さんと御一緒にゆっくり美酒を味わいたい

ものです。



12 月 04 日(Thursday)
  今日も朝からすることばっかりだったのだが、寝坊でずれこんでいった。

しかも三味線の稽古日だったのをすっかり忘れていた。前回から譜面を見ず

に覚えましょうと娘道成寺の聞かせどころの稽古に入ったので、朝から先生

に怒られ憂鬱な出だしとなった。今までの(譜を)目で追う演奏でなく、先生の

指先と自分の耳、頭に集中せんとあかんから大変。うまくいかんから先方様

ピリピリきてるし・・・。稽古後の談話中に嫁が加わって男一人をちくちく苛めて

かなわんしで庭先へ逃げ出た。

  池の中にもみじの葉っぱが次々と落ち、鵜がそれを啄ばんでる。ついでに

それをゴミ箱に入れとくれ。毎日毎日掃除掃除。頭には鵜の毛、どうだんの

古木の下を這いずり回って・・・師走坊主。一方、母屋の玄関先では円空の

ごとく?一心不乱に製作し続ける仏蘭西坊主。出来上がったようで大変見事

な出来映えである。お国へ持ち帰ると思いきや僕にプレゼントしてくれると。

この年で素敵な]`masプレゼントを貰ってしまう。




12 月 05 日(Friday)
  昨日掃除したのに満天星(ドウダンツツジ)の下は落ち葉だらけと、今日も

朝からほうき片手にレレレのレ〜♪である。明日は雨が降るようであり、曇り

空の下でも汗が絶えない。昼から隣町の校長先生10数名が集い、僕の話を

聞きに訪れてくださることになっていたので掃除も余計に熱が入った。若造

の鵜飼説明に満足していただけたかは存じませんせんが、教育者の立場の

方々にお話しさせてもらえたのは恐縮する反面、大変嬉しく思いました。

文化レベルは地域様々でありますね。

  小学生時分に隣クラスの担任だった教師が今では校長先生の面々。

  母が以前言った。

『同級生は皆偉い方に・・・。』 

父はかなり頭のデキが良かったらしいのだが、この道出世や成功とは無縁

の世界。僕の知人らも幾人かは既に甚だしく御活躍されていると聞く。

  夕方歯医者での一幕。

『鵜匠さんって国家公務員にあたるんですか?』

『周知のそれとは異。月々八千円の余、給付してもらっております・・・。』

隣の女性助手にプッ、と鼻で笑われちゃいました(笑)。

それが鵜匠で僕の道。思われる以上に地味で人生を縛られる仕事。次男に

生まれてたらどんな人生だったろうに・・・。



12 月 06 日(Saturday)
  今日は雨が降ろうが槍が降ろうが『そじ』を撤去するとゆうことでして、朝の

8時から雨降られながらの作業開始。まだ長良川の水位は高くて70過ぎた

爺ちゃんら大丈夫かいなーといった具合。三脚担いでは3m間隔に40本余り

打ち込んである真鋳の鉄杭を順にジャッキで抜いていった。

  この時期にして水の冷たさが苦にならないとはおかしな年で、12月まで

そじが残っていることはまず無い。場所によってはまだ水が多くて、今日明日

も撤去できない所が多いようだ。10時半には作業を無事に終え、丘に上がり

うちの軒下で会計報告も済ませた。帰り際皆が今回の漁業組合の役員選出

のことで不平不満云々。川漁師は鑑札料金支払いにより組合人の名目を得

るのだが、実際あまり漁に携わっていない人間が多数役員を固めているらし

くて、今回の選出も川筋の人間よりも町の人間が目立つぞ〜、と。会計も不

透明過ぎて・・・と少々???お怒り気味でした。

  鵜飼において。長良川の鵜匠さんらはイベントによる漁形態の変移もあり

其の地区の漁業組合との接点もいかほどかはあろうかと思われるが、現在

小瀬においてはさほど無い。15代目宮太郎が河川取締役であった、昔の

本鵜飼の時だけかと思われます(現在の漁業組合の前身)。

  鮎の減少は経済社会に向かって変容を遂げた自然の代償ではなく、川を

知り、愛し、そしてその恩恵を受ける川漁師が、取り締まるべき地位に少なく

在籍するようになったためでもありましょうか。


  昼からは雨のなかを多くの漁師らが寒バエ獲りに来ていた。川鵜の群れ

が降り立つのを確認するや皆が身を潜め、浅瀬に追われ逃げ込んだ寒バエ

に網打つ。数人が一人当たり7kg程捕えたと聞いいたのは出向いた夕刻。

『何で来んかったんや〜!よ〜け(たくさんの意)来たぞ。』 と、皆口々に。

既に魚影は見当たらなかったが、鵜の餌に持ってけよと先輩漁師らに声を

掛けられて有難く頂戴しました。



  *おまけ知識; 鵜飼屋は川漁師らとの抗争が絶えなかったと聞いており

ます。美濃市辺りでは藪や橋の上から石がよく飛んできては、ケンカ腰の凄

んだ漁師らと話しをつける日も多かったと聞いております。


12 月 07 日(Sunday)
  初冬らしい寒さを感じる一日となった。

堤防沿いを犬の散歩してると、南東からの日差しで久々に目にした虹の中を

数羽の川鵜が飛び行く。書いたぶんには美しい光景が浮かびそうだが実際

その背景には北の暗い寒空が広がっており、そうでも無し。スキー場関係者

にとってはいずれも最高の神々の調べと映ったことでしょうが・・・。

  冷たい風のなかでは掃いても掃いても汗も出ず、落ち葉の絶えることなく。

急に降り立った寒さのなかにも鵜達は普段どおりに池で羽を洗うと、小刻み

に身を震わせながら大羽広げて乾かしていた。これでもかと霙(みぞれ)の

混じったような冷たい雨も降る。

  好天気では無かったが思いは皆様々。日本に生きる人間にとっては昨日

まで続いた季節感無い暖か過ぎる天候と比べれば幸いなことです。季節の

移ろいとメリハリ。ビバ!ビバルディ〜!!!本日のお客様、御結納おめで

とうございました。


  ところでこの時期、足先の霜焼けだけは気に食わない。もっぱら、今でも

裸足に草履なんだから当然なのですが。年中足の甲にX字のビキニライン

がくっきりと残るのが、僕の自慢なのです(笑)。






 


12 月 08 日(Monday)
  実に寒〜い一日でしたが、それでも時間があったのでちょいと川へ出張。

川ん中で魚群を待つが大きな塊は来ない。寒さに震えながらじっとしている

と数十羽の川鵜の群れが川上に降り立つ。僕はしゃがみこんで岩の如し。

30mの距離まで向かって押し寄せると同心円状に逸れて進み、間もなく

飛び立って行った。

  冷い水に尻が冷え、北風に手は悴んで、投げた網は開かずに塊となって

飛んでった。当然魚の収穫は無し。在りし日の餌飼い風景を垣間見たことが

唯一の収穫となった。

野生の川鵜が一列になって自分の方向に向かってくる状況に心臓バクバク。

鵜と同じ目線にいたから尚更でした。今度からカメラ携えて行こっと。

鵜なんて年中嫁さんより顔合わせる時間が多いのに、舞台が変わればこうも

感じ方が変わるものかと自分に驚きもした。





12 月 09 日(Tuesday)
  友人が製作した模型の船を見せてほしいとのこと。店のお客さんから日記

のコピー見せてもらったよ〜、と古田さんが訪問された。

  今日は家族総出で障子の張替え作業をしており、知らぬ間に客人である

古田さんに中心となってやっていただくことになってしまった。風邪気味の鼻

垂れ坊主は折りたたみ式のゲージの中に居させて・・・。

 居候中である友人は母屋の壊れたままとなっていた古時計を持って来ては

分解しはじめ、さすがはフランス人といったところか。でも全部見事にばらした

のはいいが本当に出来るのかと心配に。すると横から彼は昔時計職人だった

と聞いて驚く。幾度と大きな賞もとったとかで今でも歴史的建造物の大時計の

修理を頼まれるが、足の悪いことと高いところが嫌なために断るらしい。

120年前くらいのもので2回修理してあることも分かるらしい。へ〜?その痕

を見させてもらって納得。足りない部品も自分で作り出すほど。

  鵜に餌をやって障子を元に戻していると日も落ち外は暗くなっていた。

夕食後も作業に向かっていた。鉄帯のゼンマイが切れて弾けたらしく手から

血を出しながら・・・・。

  手伝って一緒に鉄帯を巻いてると本当に仕掛けが動きだしてビックリ仰天。

『スゴイ時計ネ。』・・・ってアンタがスゴイよ。

  今は何につけても安価な品物を買っては捨てるの時代。職人で食ってけん

のはどこの国も一緒か。やけどもえらいもん見せてもらった。まさか本当に

動くとは恐れ入りました。

  日本ハ、ドコノオ店モ古イ時計動イテナイ。飾ッテアルダケ。不思議ネ・・・。



12 月 10 日(Wednesday)
  正午の時報と時を同じくして、母屋で再び時を刻み始めた古時計。

あまりに嬉しくって彼に握手を求めた。

  歴史や伝統が絶たれた空白の時間を取り戻す為に情熱と誠実さを備え

た職人の技がそこにありました。

  経験の少ない僕の成せる技とは浅いもので、まだまだ歴史的な外観のみ

を着飾っているだけ。職人としての成功は遥か先のこと・・・


12 月 11 日(Thursday)
  昨日の日記の続き。柄巻師。

全国に10名とおらず岐阜県内では一人。本日お稽古して頂いた三味線の

先生の旦那さんがそうである。無鑑査認定を受けたと目にした朝の紙面、

喜びの言葉を先生におかけすると今までの困難な道をお聞きする。

  話しは芸の世界にも及んだ。一人では表舞台に立つことは出来ないと。

つまりはいくら人間国宝といえども持ち上げてくださる周囲の人間がいて初

めて日の目を見ることが出来るのですよ、と。技だけでは無いとゆうこと。

  人間国宝のお方と並んで演奏するお隣さんの方が上手なことはよくある

ことだそうだ。確かに誰もが羨むほどの技を持てども名声聞こえねば闇に

隠れ、弟子も集まらずに結果伝統も保たれないでしょう。

没後の名画とゆう道も・・・。

  最終的には僕の稽古不足、練習をしっかりしなさ〜い!とのお叱り話し

となり稽古を始めました。譜面が無いぶん集中できるがこのピリピリ張り

つめた時間は耐え難く、反面心地よくも・・・ある?

 
  毛艶の悪い鵜が数羽目につく。大きなホッケは脂分がほどよくあろうが

小振りのものは冷凍とゆうことあって腹の足しになるだけのこと。気候や

体調もあるが、そいつらには重点的に寒バエやらを大きめのを与える。






12 月 12 日(Friday)
  寒くないですか?と人に尋ねられた。

『全然。平気やよ!』

遠くの山肌に積雪も見られるようになって今日も時折冷たい雨も降る。

この天気のなか、ズボンの裾を捲り上げて素足に草履姿で水仕事風景は

阿呆にも見えるかな。理由はそれなりにある。

  長靴履くと足に汗を掻いてしまいかえって霜焼けとなりやすいので嫌い

なのです。もちろん草履も冷えるので(霜焼けの)要素はあるでしょうが、足を

止めて作業している時にも指先に力を入れるように気を遣っております。

頭寒足熱とゆう言葉があるのだから体にはあまり良くは無いかな。

ただ雪の時期も草履で過ごすまでではありません。その時は霜焼けで長靴

はピッタリFitです。数分おきに足の踏み合いっこ・・・。

  夏場も気分転換と趣味実益兼ねて川の中に入る際にも足腰を長時間水に

さらしているんで周りの人間には、年を取ったら神経痛となってコロッコロに

なってまうで〜と言われとるが・・・タバコと同様に体を痛めることばかりを

年中している。

  暖冬といえどもしばらくは寒い日が続くこと。薪割りでも始めようかな。

頭寒足熱の意。寒い空のもと頭を真っ白にして体動かしんしゃいよー!とも

受け止めて・・・。とりあえず今日は中庭に復元作業中である『亭』の水場の

石組みが決まった。


12 月 13 日(Saturday)
  ドタバタの一日となった。父と中庭で水道管の延長作業をしていると表から

何やらざわつく声を聞く。 『わっ!鵜がおる』 昼過ぎにお客様が・・・訪問?

明日承っていたのが実は今日だったとのこと。大慌ての支度。虫の知らせか

女将は朝のうちに明日の買い物を済ませてあり、味を染み込ませる為に昨晩

より大根を煮込んであったのが幸いでした。猪肉も猟師より届いたところ。

  一段落すると庭から父の叫ぶ声を聞く。止水栓閉めても水が止まらないと

かで来てくれと。坊主の小便のごとくちょろちょろと出続ける塩ビ管。何とか繋

いだが栓を戻すと水圧で抜けてしまった。パッキンが壊れているようで二度目

は更に水の出が多い。今日は土曜日で水道屋さんもお休み。応急処置施し

月曜まで待つことにした。不完全な仕事だったので失敗して良かったのだ。

だが父は納得がいかない様子。原因は水圧だけでなくて、繋いだ管を不用意

に触ってしまった彼にもあった。

『あ〜あ、せっかく終わったところなのに。』 と後の夕飯時も呟いていた・・・


  夕方。今年うちは町内班長役。坊主と関市の広報(チラシ)を配りに回って

いると頭上を川鵜の群れがいくつも飛んでゆく。五羽の群れ、十羽の群れ。川

に下りる小道にさしかかると、我が家の軒と隣の柿の木の間に覗く空を今度

は百羽以上の群れが羽音がバサバサ聞こえる距離を飛んでいった。

  川原に出てみると奴等が追いやったであろう寒バエを狙っていた漁師らが

網をうっていた。


12 月 14 日(Sunday)
  夕方近く川へ。五羽ほどの川鵜が次々と降り立ち、川漁師らが恵みを受

ける。日の暮れ間際にはB29の爆撃機のごとく200羽もの群れが飛来して

その降り立つ様には圧巻。あまりの多さにこれでは、と石投げて追い払う。

鯉やウグイなどの雑魚や大きな寒バエを漁師さんらに頂いた。今晩うちの

鵜は大御馳走となる。



  鵜を寝させると急いで風呂に入り着替え寺へと出かけた。御経が済むなり

早々に御無礼して消防の車庫へ。今日はこちらでは忘年会。終わりがけに

酒の”好い酔い”が冷める荒れた一幕ありもしたが、いたしかないこと。また、

雨降って地固まることか。何事もなーなーであってもならず・・・。

ワイワイガヤガヤの席。涙ホロロンの席。喧嘩口論の席。いろいろあるのが

酒の席。なるほど『気違い水』。正気では決して生まれん会話の一石を投じて

くれもする。


12 月 15 日(Monday)
 凍てついた早朝。初めて薄っすらと氷が張った。

鳥屋の掃除をしてるとチビが吠え立てた。水道屋さんが来てくれた様子。

うちの止水栓だけでなく市のそれも効いていないとかで至急市役所に電話

して水道課の方に来てもらいました。見たことある顔だなーと思ってたら

鵜飼開きでもお世話になってる小瀬の神主さんだった。


12 月 16 日(Tuesday)
  日増しに鵜の庭は影が多くなり、僅かに日の当たる狭い空間に所狭しと

鵜が並んでは羽を乾かしている。母屋の大屋根が日光を遮るのだ。

  そろそろ雪も降り出そうかとゆう年の瀬。寒い場所に鵜をやらせない為

と大屋根の雪が落ちて鵜を驚かせたり怪我をさせない為に、金網で遮断

する作業を行った。今年は冷夏だったし雪もそうは降らんと思われるが誰

の目から見ても異常な年。思わぬ大雪に見舞われるかも知れない。年寄り

が雪の多い年の目安とする一つに柿の実りがある。豊作であったが作った

干し柿の多くは後の梅雨のような天気でカビてしまった。

  つまり今や昔のような言い伝えじゃ当てはまらん異常気象。科学の成せ

る技をもってしても外れるくらいですからね〜。

  連日小瀬の長良川には爆撃機が集団で襲来。離れた場所に降り立って

なかなか願った場所に来ないために漁師らが爆竹で誘導。びっくりして飛び

立つと上空から”ふん、糞、ふ〜んだ!”と怒りの焼夷弾が降り注いだ。遥か

彼方の反対方向へ飛び去り、しばらく皆呆然と立ちつくしていた。野生動物

はそう簡単に操ることは出来ない。怖がらせることは最も嫌う。

  実践的に利用するならば川鵜と共同作業を行う白鷺のダミーを作って、

それを寒バエを追い込んで欲しい場所に置いた方が面白いかなと思う。

もしかして目にすることとなるやも・・・。


12 月 17 日(Wednesday)
  ついこの間まで庭じゅうを照らしてくれてた満天星の葉は全て落ち、北側

屋敷裏手の影部にもみじの葉っぱが僅かに残っているのみ。夜の料理の

彩り(いろどり)に使うため、昼のうちに採っておいた。

  今日は風もあまり吹いておらず日差しを感じることが出来て幾分暖かく

感じられたが、だからといって川原に人気が多くなることはない。常連である

いつもの川漁師ら数人だけを目にすることが出来るくらいだ。反対に日増し

に多くなるのは川鵜やら白鷺、カワセミなどの自然動物。山ではイノシシ。

鵜部屋にいても鉄砲の音が聞こえてくる。

  今朝猟師から今晩のお客さんの猪肉が届いた。大変良いメスの肉である。

今年は近年稀に見る脂の乗り。温和な天候が続いてたらふく栃の実喰ってる

様子で実に脂が甘い。今晩のお客さんはラッキーやね。でもそのほかには

子猪の柔らかな肉や赤猪(毛が赤く肉は霜降り)なんてのもある。この間

弾込めてたら真横を赤猪が逃げてったと、大変残念そうに猟師が言ってた。

  夕方は鵜の庭で”もの干し板”設置作業。全ての鵜が喧嘩せずに日差しを

存分に浴びることが出来るよう、つまり”鵜の羽乾かし板”です。昨年までは

その板を支える為に30cmの松の丸太を使用していたがすぐに朽ちてしまう

ので、今回は軒下に眠っていた円柱の漬物石を二個ずつ積んでその足とす。

  ただでさえ仕切られて狭くなった鵜の庭。これで老鵜達も勢いだけはいい

若鵜に気兼ねすることなく気持ちよく羽広げ威厳を感じさせられようか。人間

社会においても経験豊かなものほど謙虚であるが、指し示す必要は彼らには

あって然るべきであろう?鵜飼のシーズン中において脂の乗った中堅の鵜達

ほど働くことは出来ない老鵜であり、プカプカ浮いている時間のが多いのは

否めないが存在意義は鵜匠のそれより遥かに勝る。

いわんや若造鵜匠のそれをや〜。


12 月 18 日(Thursday)
  夕食後。しし射ち猟師のおっさん家に呼ばれてイノシシ談話。

昨日日記に書いてた温暖な秋のせいではなく、台風が来なかったから木の

実も落ちずに・・・とのことらしい。あんだけ太っているのは稀であり、たわわ

となった脂肪のせいでかなり短足に見えたそうだ。鹿もぎょうさんおって今度

射ちにいくとか。あのプルンとしたレバーは絶品である。知らなかったのだが

鹿はメスを殺していけないと聞く。種の保存のためである。

  川ではカワウの増加が問題となっており、漁業組合がハンターに駆逐を

依頼することがあるのだが5、6人の猟師が一日に同数のカワウを仕留める

くらいのものと聞いた。メスのみを狙えば自ずと効果は出てくるように思える

のだが、僕ら鵜匠の飼う海鵜と同じであろう。メスのみを選って仕留めるのは

極めて難しい話である。遠くから見分けるそれは勘にも等しい。

 


12 月 19 日(Friday)
  朝の太陽も次第に見え隠れするようになり、外はまるで冷蔵庫のなかに

入ったような・・・そんな寒さがやって来た。色気を失った庭、その隅っこでは

熟れたカラス瓜が一際目立つ。

  雪が降り出す前に早々と鵜を鳥屋へと追い込むと、最近嘴が尖っており

餌を与える際に手に突き刺さりもして痛いのでハサミと鮫皮で手入れする。

小屋から出て空を仰げばいつの間にか雨から雪へと代わっていた。初雪。

  明日は朝から車の入り用と、川っ風に吹かれながら大至急冬用タイヤに

交換。それ程凍てつくことはないだろうが、水道管を覆ったり地面下の元栓

を止め歩く。

  松尾山のカラスどもが麓に降りていた。時期を待っていたのだろう。渋柿の

木に群がって啄ばむ姿が見られ〜・・・カラスうまいっす!と申しており。

カー、カー、分っかるかな〜。実に寒い光景(一文)なんですわ・・・。




いくつになっても雪が降りゃ〜

嬉しくって仕方がない

明日の朝に

気持ちも募る・・・



12 月 20 日(Saturday)



  朝起きて窓を覗いて驚いた。昨年の大雪を思い出させる光景であったが

その時はさらっさらの粉雪でした。今回は湿っており庭の木々の下枝は地

に着き雪に埋もれてしまっており、椿科のワビスケなど折れていたものも。

雪吊りなんぞしてあるはずもない。慌てて竹竿持って松の雪を払うに汗。

写真にこの光景を収めるべく表の道路端まで駆けて行きカシャカシャっと。

慌てて軒下まで戻り、縁台の上でピョンピョン飛び跳ねる。急ぐ仕事と素足

草履にて行っており大変痛寒く、自分の足がかわいそうに見えてきもした。

え〜い、ままよとばかりに縁台から飛び降り今度は南無三唱えながら、その

”足”で中庭の深雪突っ切って長良川の美しい雪化粧を写真に収め、寒さと

感動に体が震えた。



  寒川の中ではこの雪のおかげで漁師もおらんと気ままにカワウが漁をし

ていた。このクソ寒いのに朝早よ〜からよ〜やるわと思いながら見ていたが

うちの先祖もちょっくら前まではこんな日でも餌飼い(えがい)をしに出かけ

ておったんやから、現在はいかに生ぬるい暮らしぶりやろーか・・・。そう思う

と寒さも薄れとぼとぼと雪道をかみしめながら家へと・・・(嘘)猛ダッシュ!

  大阪へ向かう用事のある妻を岐阜まで送り、坊主と家路に急ぐ。再び空

は灰色に戻り、帰ってから鵜部屋の掃除、雪かき、雪おろしに追われる。

坊も楽しくって3時間あまり雪で遊んだり手伝ってくれた。

辺りは真っ暗になってもハシゴ携え母屋の大屋根の雪を掻いていると、その

下で犬ども2匹が雪の上をはしゃぎ回って転がったりしていた。まさに歌の

とおりで嬉しくってたまらないのが伝わってくる。うちの坊も犬型だな。



12 月 21 日(Sunday)
  昨日のうちに池周りの雪を水の中へ投げ入れ、栓を抜いといて良かった。

昨晩の深夜0時頃の外は冷気がひどくメガネが曇っているんじゃないかと

疑うほどで相当冷え込みそうでした。朝起きてみりゃ〜バンバンで水溜りは

厚い氷で覆われており、道路の凹んだところはつるっつる。朝から尻餅突い

て坊主に笑われる有様。つららなんかも見事な出来映えで、大きなものは

30cmもあった。表に実る冷たい金柑を頬張りながら長良川沿いを散歩。

  家に戻って鵜を籠から出してやるものの庭へは今日も出してやれない。

ももぞうさんの言われるように鵜が雪の塊で”うっ!”なんてことになりかね

ないしで・・・結局今日も軒下の小狭いところで羽を広げるのみとなった。

  通年水掃除。氷水浸かるホッケを手で解したりでこの時期になると手も

ざらざら。毎日食器洗いをする妻の手もひどく僕に手を見せたことがあった

が、僕の手を見てからは何も言わなくなりました。

  夕方妻が帰るまで坊主の世話する。とは言ってもうろちょろしていると頭上

から雪が落ちて怪我されてはと、爺と一緒になって雪掻きの手伝いしてた?

鳥屋で鵜を触っていると池の方から叱る声。爺にしつこくスコップで雪を投げ

かけるので始めのうちは笑ってたが終いにゃキレかかってました。

  3時のおやつ時には雪合戦してやる。一方的に僕が投げてはスコップで

応戦していた。なかなか当たらんなと思いつつ玉を大きくし、ムキになって投

げ続けりゃ顔面に直撃して泣かせもした。大丈夫かと近寄ると泣きながらも

足元の氷を掴むしたたかさには、さすがにお父ちゃんも参りました!

 



12 月 22 日(Monday)
  鵜の池に面した屋根瓦の雪は軒下に落ちており、その山を取り除く作業

を朝一番に行う。雪はスコップで仕切りフェンスの反対側、母屋の日陰部分

へ投げ入れた。

  戦時中はうち(十の字)と隣(カネモ)の二軒のみが鵜を養っており、3月の

15日から鵜飼始めの5月11日までは長良川は禁猟となるため他川に餌飼

しに行くか、或いは鮮魚を購入して母屋の日影部に残る雪氷を保存に利用し

たそうである。確かに春先まで残っていることが多い。

  昼過ぎに毎日新聞の切り抜きを持って古田さんが訪問。そこから若かりし

頃の話に及んだ。最近、昔撮った白黒写真を整理しておられるようでなぜもっ

と写真を撮っておかなかったんだろうと悔まれておられたが、当時はフィルム

も高価であったろうし更に嘆かわしいことには伊勢湾台風で数多くの財産が

失われたことである。

  フンドシ姿の青年が瀬に差し掛かると綱引いて上がり、過ぎれば帆をかけ

て上流へ向かう鵜船の集団。遡る記憶、とはいかない在りし日の光景なんぞ

少ない写真と年寄り船頭の口から膨らむイメージばかりで・・・。

  そのこと考えながら鳥屋の掃除始めりゃ〜昨日買ったばかりの新品長靴

にホースの水突っ込んでしまい、結局いつもの冷たいゴム草履。

  夕方のテレビにゃ捕獲場に関する話ありと、寒々しい内容の一日でした。

考えりゃ〜憂鬱になるだけ。でも鵜よりも来年の遡上鮎のほうが心配だ。

こっちの方が先に影響してくる。



12 月 23 日(Tuesday)
  テレビの影響でここ数日季節外れの来客が多い。今朝も早から?鵜の

説明御所望の電話を受け、日の当たる縁側にて僕の拙い話を聞いて頂く。

名古屋方面からが大変多く、夕方には大垣からお越しの方もみえた。

  今日は気温も上がりまして、ぽたぽたと雫の垂れる軒からは雪の塊が

滑り落ちて止まない。軒下では頭上に気をつけなさいと坊主に注意を促す

と、僕に続いて氷の山を小走りする際ズッコケては泣いていた。

  ここ連日襲来し居付くようになったカワウの大群により、寒バエを全く目に

しなくなった。長良川沿いを上流下流と股にかける川漁師に聞くと、どこも

かしこもカワウが食い散らしており”遊べる”ところは皆無だそうで相当酷い

状況らしい。

  確かに食べ方とゆうか魚の追い込み方が変なのは気付いていた昨今。

人気の近い場所や橋の真下にでも集団となって・・・大変がっついている。

カワセミの獲物となる数センチ程の稚魚を必死で寄せて食べるのです。

深みの水面でも(魚の)波紋一つ出ない日が続いている。ついこの間まで

は川鵜に追わせておこぼれを甘んじていたうちら漁師も見過ごせない状況。

漁協もついに腰を上げた様子。

  晩に永昌寺で忘年会に呼ばれまして、父の代わりに居心地悪い上座に

いますと長良川中央漁業組合の前小瀬支部長さんに呼ばれた。

やはりカワウの被害が尋常でないことが耳に入っているようで、年末から

魚の逃げ込める場所を確保するため要所に竹籠を設置すると。そこで漁

する者を見かけたら通報するように、とのことでした。今年は本流において

あまごの放流を行わないのは結局カワウの餌となるだけだとゆうことだが

そうなる原因の一つに川の砂漠化がある。これは川の浄化作用が失われる

だけでなく、上空からのカワウが魚影を完全に捉えてしまうこと。鵜の目鷹

の目とはよく言ったもので、熟練の漁師のそれの軽く上をゆくのだが現在

の状況においては女性が裸で歩いているようなものであり、親のない赤子

といった具合。親は言うまでもなく石に該当。砂の流出の出所原因に見当

はつくのだが、これに歯止めをかける大きな動きが無く残念だと伝える。






12 月 24 日(Wednesday)
  クリスマスだとゆうのに田園風景に囲まれたここでは感じようもない。

学生時分は町のネオンやどこからとも無く聞こえてくるクリスマスの歌に

気持ちが高揚したもんだが今の僕、心に染みるのは年の瀬にかかる寺の

鐘の響きといったところと・・・いかにも爺臭い。もちろんこんな輩は僕一人。

家の中では妻らがケーキ作ったり鳥の〇焼き準備をしている様子。

  鵜の庭に面した縁側の掃除をしていると、表から全身サンタクロース衣で

はしゃぐ坊主の後に続いて数人のお客人。今日もテレビ見た下見の方らしく

来るなり鵜に驚嘆し、掃除直後のベッタベタの縁側に座ってしまいました。

帰り際 『どうも・・・近々来させてもらうで顔覚えといてな〜!』

喜んでもらえ大変有難いこと。法曹界のOBの方達らしいが、濡れた尻壮観

として記憶させて頂く・・・・・・司法官ね・・・・・。

  夕暮れ差し掛かると庭んなかで炭熾して串焼きの準備。火が落ち着くまで

の間、鵜を籠に差して餌やる準備。別にお前ら食おうとしてるんじゃないのに

と冗談言いたくなるくらい、ちょこっと若い鵜がざわついた。僕の気が立ってた

かのかな、はて?

  今日も長良川は寒バエの波紋無く、川鯉が点在してるのみと静か過ぎる。

カワセミのつがい二組が少しの間を置いて目の前に降り立ちては矢のごとく

通り過ぎていった。運が良いのか悪いのか・・・。クリスマスと正月ももう少し

離れて来てくれればええのにな〜。あ〜もったいなや、もったいなや。


12 月 25 日(Thursday)
  昼前にももぞうさんがお友達連れて来訪され、またまた珍しいお土産を

頂いたり。ごちそう様でした(笑)。

  今日午後から取材の話が来ておりそのことをお話しするとお友達の方が

『何でお笑い系?』 と不思議そうに笑ってみえた。う〜ん、確かに今年は

多かった。なぜ・・・

  東海テレビのディレクターさんに伺えば、大方出尽くしたものばかりの事

であり、地方の未発掘を探すのが仕事だそう。それがたまたま関市に矢が

立ったとゆうことらしい。対座した時から桜庭に似ているな〜と思いながら

昔僕が学生時代にボクシングをやってたことを話しすと、お二人とも格闘の

番組『プライド』に関することに携わっていたらしい。そこから話に華も咲いて

『どのボクサーが好きですか?』

『うーん。やっぱ辰吉ですね〜』

『僕はマービン・ハグラーです。ご存知?』

『おおっ!懐かしい。僕も当時の輝かしい4人のビデオ買いましたよ〜!!。

ハーンズとかシュガー・レイ・レナードの時でしょ〜?』

と別件で盛り上がってしまった。

とっても楽しかったけど・・・・一体何の取材だったのかと。まだ撮影に至るか

は存知ませんが。


12 月 26 日(Friday)
  どこもかしこも寒バエが獲れない・・・とゆうかいない。連日のカワウ襲来に

臆し、どこかに潜んでいることだろうが無事に”いかだばえ”が発送出きるか

心配である。堤防の階段脇に小さく不恰好なシルエットを見つける。排水溝

の出口穴に溜まるウグイの子を狙うカワセミの姿だ。

  用事で遅くなりそろそろ鵜を出してやろうかと向かう間際、新聞社の方が訪

ずれる。聞けば僕と同じく、現在の長良川の状況に地元民として指を咥えて

いることは出来ず、来年から川を見つめる特集を組むこととなったらしい。

小瀬において日々鵜匠の生活を続けてゆくために旅館手伝いをし、今年から

うちと小瀬鵜飼の宣伝兼ねて日記を書き続けて今日に至った。そしてこれが

媒介となって多くのメディアさんに取り上げていただけた。ただ全て表舞台を

映しただけで・・・今回やっと本願のものとなりえそう?!

  他の鵜匠さんらからは聞こえない声だとその記者さんは言ってみえたが

川での生業とゆう職業上、十二分に長良川の行く末に不安を感じておられる

だろうこと。皆が利口であり結局僕が貧乏くじ引くことになるんだろうな〜。

小さな頃からある変てこな正義感がいっつも損をさせて止みませんわ(笑)

ただ・・・・一昔前の鵜匠が目〜瞑って苦虫を口ん中へ放りこみ、次世代が

それを噛み潰し、そのまた後継者が 

『何でこんなもん喰らうはめになったんや〜!!!』

と文句吐くのは当然の流れでしょう。じゃないと亡くなった鵜匠OBの方達に

申し訳が立たんて。言うまでもなく時代の流れで苦虫を喰らうこととなった

先人であり、後継される職業上その思いは極まるものだったと思われます。

  勘違いされると困りますので追記しておきますが、決して河口堰のことを

申しておるわけじゃなくて長良川とゆう本来の清き川の流れのこと。

河口堰で川自体は荒れず。鮎はそれに付随したものに過ぎません。

大変重要な”おまけ”ですがね・・・。これが付いてこなくなったら鵜飼なんて

単なるお菓子。観光客とは興味深深な子供のごとし。ん?鵜飼がおまけで

鮎がお菓子か?どちらにせよ一つ欠けたら観光としては持たんやろう・・・。


  父と僕とのすり替え編集が終わった関市の鵜飼観光ビデオを本日役所

の方に届けてもらいました。夕方、一人でこっそり変なもん?見るかのよう

に旅館のテレビで拝見。恥ずかしいほどの拙い手縄捌きであり鵜に操られ

ているように見え、これが後々に残るのかと思うと一人赤面する。このような

若造鵜匠が偉そうに毎夜言葉を発信していていいんやろか〜と・・・


  P・S  K様、本当に大変素敵なお写真ありがとうございました。

       全国観光マップの管理人様、鵜のお正月アイコンありがとう
       ございました。


12 月 27 日(Saturday)
  川風が吹き荒れる一日となる。散歩に同行した坊主の鼻水も飛んで行き

そうなほどでした。枝間にかろうじて残っていた枯れ葉は庭へ池へと降り注ぎ

竹ぼうき持って走り回る朝方。体もほどよく温まった。

  家のなかでは父が何やら作業?指南している。最近地震のニュースが目

に入るので家具を固定するとか。彼は幼少の頃には大きな地震を経験して

おり、備えておかなあかんと急に始めたのだ。ただ夏場の台風の際、ロープ

で木々を固定するなど徹底的に行う父であり、彼が早々と災害に備える時は

決まって来ないんです。だから気を張ってせっせと準備をするその姿を見て

台風は来ないと家族皆で確信するのです。

  『備えあれば憂いなし』 はもちろん。後で泣くのは嫌ですから共に作業を

進めますが、やはり父が騒がないときのほうが思わぬ被害となることが多い

ので、うちとしては最も信用できる予知の目安としております。地震だけは

いつ来るのか分からんので日々の心がけが大事でしょう。


  今晩は地元消防団の夜警勤務であり3時まで町内を見回ることとなる。

昨夜からその年末夜警期間が始まっており、関市長さんからも激励の言葉

を賜った。同年の団員から猪肉を無料で頂きまして今夜の振る舞い鍋となる

しし鍋を、班長含む団員らが我が家にて調理して今晩に臨む。

  さて今夜はその前にお客様もみえるので鵜のことを済ませよう・・・。 


12 月 28 日(Sunday)
  ♪も〜い〜くつ寝ーるーと〜お正月〜・・・って4回に決まっとるやん。

そう、あと三日後には紅白歌合戦見ながら除夜の鐘が響き渡るんですから

早いものです。年の瀬とはよくいうもんであっとゆう間の12月でした・・・。

  今期の御料鵜飼においてもそうであったように、差し掛かる直前気を引き

締め、急な鮎之瀬に入ってみれば短時間集中の目まぐるしい場面の連続と、

絶えず一定に流れる時間に対して瀬の激流と仕事量の多さは不公平にも思

えてくるんです。それがまさに醍醐味なんですがね(笑)。その大仕事が済

んで耳に出来るのが屋敷で献上鮎をお待ちである式部官のねぎらいの言葉

であり、戦後打ちひしがれた日本国民の心を癒した第九といったところでしょ

うか。

 今日なんか昼時に坊主と姉の子供ら連れて堤防沿いを犬の散歩してたら

上空に数百のカラスが飛んできたかと思うと反対方向からは鳩の群れが・・・

空にも大きなオーケストラが構えておりました。


12 月 29 日(Monday)
  風もなく大変暖かく過ごしやすい一日でした。

鳥屋掃除を終えて川原へ煙草吸いに出る。

ふと朱色の鮎之瀬橋の向こう側に目をやれば網の師匠の車が久々に止まっ

ていたので変に思い、昼飯前に挨拶しに行く。 玄人が寒バエもおらんのに何

で朝からずっとおるんやろうと。

  行ってみればやはり獲物は違っており、三脚立てては自作の望遠鏡の様

なレンズ備えたデジカメでカワセミの写真を撮っていた。多彩な趣味をお持ち

で大変楽しい方である。興味深い話を聞きながら 『お前も撮ってみい!』 と

言われカワセミを数枚撮らせてもらった。けっこう離れているのに見事にその

姿を捉えることが出来ており大変驚いた。

  趣味の中に徹底的に生きる人であり自由人といった印象を受ける。スケベ

な部分もかなり”大”な師匠であるが、その創造力と発想と行動力は本当に

凄い。そして何よりもさらっとしたところが本当にカッコ良く思える。


12 月 30 日(Tuesday)
  鳥屋の大掃除をしていると朝から薄着であったためか体調が悪かったが

トイレに何度と通ううちに調子も戻っていった。頭に巻いてある手拭いを頬っ

被りに直して埃を掃う。

  夕前には坊主と仏花をリヤカーに乗せてお寺へお参りをし、その足で下の

土葬の墓地へも向かった。家へ帰る際には喜ぶ坊主の声にスピードの勢い

増し、玄関先で転げ落ちて大泣きさせてしまった。仏花を入れてあった発泡

スチロールの容器が運良く頭を守ってくれる。

  鳥屋へ鵜を(籠の中に)差しに向かうと何やらバンバンと音がし、鵜がざわ

ついている。相方不在の一羽者が皆に突付かれており、目の周りは噛み傷

多く涙も出ており哀れな姿で最後の空間である僕の足元に転がり込んだ。

  鳥屋の中は皆各々が自分の空間を持つ余裕があり居場所も大体決まって

いるので、落ち行いている場所からわざわざ離れた場所にいる奴を突付きに

向かうことはないのだが、鳥屋に入る前の格子戸越しにそれが見受けられて

大変驚いた。手元に寄せてみると脳天の毛が毟られ、酷い傷穴がぱっくり開

いていた。鵜なんてもんはめっぽう傷には強いのだが、目と足だけはそうゆう

訳にはいかない。眼球は一見無事に見えるが素人では分からなく、涙が出て

いることからして多少傷付いていることと思われる。

  抗生物質の点眼液が欲しいところだが年末とあって動物病院は留守電だ。

食欲はあるようなのでとりあえず安心。何で他の鵜がいらついたのか分から

ないが、もしかしたらこの一羽者はけっこう爺さんだし目があまり見えないの

かもしれなく心当たりもある。ここ最近庭から鳥屋へと追い込む際こいつだけ

が最後まで動かずキョロキョロしており、怯えた様子も見られていた。語らい

が居りゃこういったことにはならないんだろうが・・・隔離せざるをえない。傷負

い者は”邪魔な存在”となるのが種を守る本能なのかな。何せこんなことは初

めてのこと。実際のところ理由は分からない。ただただ回復を願う。


12 月 31 日(Wednesday)
  大晦日。朝から冷たい雨降るなか鳥屋へ入り、昨夕傷を負った『尾白』の

様子を最初に見る。傷は塞がっていたが目脂が出ており、軒下で放す他の

鵜達に突付かれないよう籠の中で休めておいた。

  午前中を鳥屋の掃除に費やし、最後に神棚の埃を拭った。夕方の餌やり

時に再び診てやると目はしっかり開くようになっており、一応薬草の汁をお椀

に集めては患部に垂らしてやった。食欲も普段通りで安心する。

  母屋から庭なかの氏神様と、屋敷中の神棚にお供えをして回っていると

炊事場からはおせち料理作る匂いが漂って来る。そのあと日が暮れる前に

坊主とお寺へ酒を持って出かけると、既に門松やら正月の準備がなされて

いた。夕飯時には父がこの年をしめくくるあいさつをし、ゆっくりと燗酒をやり

ながら晩を過ごす。ここ数年は格闘番組が賑わいを見せているのだが、それ

以上にうちの家族は皆でチャンネルの奪い合いが激しくて。坊主のドラエモン

のチャンネルだけは決して押すことはなかった・・・知らぬが仏?。この争いに

参加することなく早々と坊主は寝にいった。

 テレビをつけりゃ〜刺激の強いものや紅白歌合戦などに見入ってしまう。

静かな年のしめくくりで新年を迎えたいんだけれど、なかなか出来ないもので

すね。幸か不幸か、いつの頃からか現代人のステータスになってしまった。

除夜の鐘が鳴り響いてきたのでお宮とお寺へ新年の参拝に足を運ぶ・・・。