
| (まじたしんじ) 交田紳二 |
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(陶芸教室をしない理由) 平成18年1月1日 私は、水月窯で、技術を教えてもらって、育ってきたわけではありません。 初めは、叱られ、怒られてばかりでした。 失敗から学ぶことしか、私は知りません。 現在もそうです。 今の私の嫁さんの立場がそうなのですが、 泣きながら、しっかり学んでいます。 お客様(生徒さんと呼ぶのでしょうか?)にそんなことはできません。 私が目で盗んできたものをなぜ簡単に人に教えることができるでしょうか。 毎日、私どもとともに、やきものの制作に携わることのできる人の出現を これから、楽しみにしています。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (陶芸教室をしない理由 その2) 平成18年3月31日 土を触り、やきものを作るということは、 太古の時代から、人間の欲するところで、 その原点回帰が精神を癒すことでしょう。 すばらしいことです。 そもそもが、自発的な欲求であるので、 「教えてもらう」ということは必要ないものだと思います。 現在、教育という環境が変わってきています。 そんな中で、私は特に、カルチャースクールのような教育が、大嫌いです。 「学ぶという力」が劣っていくことが、問題だと思うからです。 人に質問したりすることは、人間社会で欠かせない コミュニケーションです。それを答える立場の人間が、 環境によって、答えを変えなければいけないと思います。 特に現代では、企業など、また個人レベルであっても、守秘義務は大切です。 私のところには、何人か、趣味で陶芸をやっている人が、よく訪れます。 ひとそれぞれの回答を瞬時に出します。 一応の満足をしてもらっているご様子で、 何度も訪れてみえます。 私はケチで、人に教えないのではありません。 何も知らないひとに、手取り足取り教えてあげるのが、 絶対に、いやだということです。 続きます・・・ (何も知らないひとについて) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (陶芸教室をしない理由 その3) 平成18年4月31日 やきものについて、私は、分からないことが沢山あります。 やきものについて、私は、少し知っているつもりでもいます。 やきもの以外のことについては、何にも分かりません。 「私は、×××について、何でも知っているから、 何でも聞いてください」 このようなことは、×××のプロと称するひとなら、 絶対に口にできる言葉ではありません。 この逆の立場もそうだと思えるのです。 かつて、私は自分の車の整備に関して、 エンジンの積み降ろし関連以外であれば、 自分で、できる知識と自信がありました。 それは、メンテナンスブック等を、徹底的に 読み調べていたからです。 分からないことがあれば、 知人の自動車整備会社の方が、 ニコニコとしながら、教えてくださいました。 知らないことは人に聞かない、 自分で、勉強するのみ。 それでも、分からないことは、 人に頼ることが必要だと思います。 骨董が好きな人、やきものが好きな人、 趣味で陶芸をやっている人が、よく訪れます。 そういった方々と、 自然に、仲良くなっていき、 教えられ、情報交換をし、前に進んでいきます。 「陶芸教室をしない理由」は、もう終わりにします。 |
