旅の本

旅をネタにした書籍は数限りなく存在します。でも、正直なところ旅の本ってそんなに読んでないんです。ガイドブックにチラッと目を通すだけで、いつもぶっつけ本番で旅立ってしまいます。旅情をそそられるのは、小説やエッセイよりも写真集のほうが多いですね。ここでは個人的な独断と偏見で、「これは面白かった!これはつまらん!」と感じたものをランダムにピックアップしてみました。


PORTRAITS
STEVE McCURRY

スティーブ・マッカリーの名前を知らなくも、表紙にもなっているアフガニスタンの少女の写真には見覚えある人も少なくないでしょう。アジアを中心に世界各国の老若男女のポートレートが240枚ぎっしりと詰まっています。故意にトリミングされ、粒子の荒らさが目立つ写真も多いのですが、とても存在感のある写真集です。意外なようですが、彼の撮るポートレートには笑顔が少ないんですね。ほとんど皆無といっていいくらいです。大学卒業後2年間あまり新聞社で働いた経験からでしょうか。あくまでもジャ−ナリスッティクな視点で被写体と向かい合っている気がします。独特の緊張感を帯びた硬質で乾いた作風は、巷に蔓延るアジアの子供のホノボノ写真≠ニは一線を画しています。1980年アフガニスタンの作品でロバート・キャパ賞を受賞。1985年には、世界報道写真賞の4部門にて最優秀賞を受賞。1986年よりマグナムに参加し、現在は正会員になっています。そろそろ引退してもおかしくないほどお年を召しているんですが、現在もアフガニスタン、イラン・イラク戦争の取材、NYでの写真セミナ−など精力的に活動しているようです。まさに報道写真家の鑑のような人ですね。2000年に出版された「South Southeast」も必見です。どの作品もまるで映画のスチ−ルのような非現実的なオ−ラを放っていて、いったいどうやったらこんな写真が撮れるのかと驚嘆しきりでした。


深夜特急
沢木耕太郎 著

今更ながらの深夜特急です。1986年に上梓されたので、もう20年近く経っているんですね。作者自身が26歳の時に体験した旅を、10年後の36歳の時に金銭出納帳がわりのノートと手紙を手掛かりに記憶を読みなおしたというノンフィクション。現在でもバックパッカーのバイブルとして、ティ−ンエイジャ−からミドルエイジまで、圧倒的な支持を受け続けています。本書を読んでアジア横断を志した若者も多いのではないでしょうか。しかし、なによりも興味深いのは沢木耕太郎自身が後になって「『深夜特急』はノンフィクションではない」と発言していることですね。だからといって本書の魅力がいささいかも衰えることはないでしょう。
「人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもなく、血湧き肉躍る冒険大活劇でもなく、まるで何の意味もなく、誰にでも可能で、しかし、およそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことを、やりたかったのだ(「深夜特急」 第一章)。」この一節には思わずウンウンと頷いてしまいました。


THE AMERICANS
ROBERT FRANK

世界で最も売れている写真集の一つであるロバート・フランクの代表作。 1955年から1956年にかけて外国人としては初めてグッゲンハイム財団の奨学金を得て、アメリカ各地を旅行し撮影されたものです。中古のフォルクスワ−ゲンに子供二人と奥さんの三人を乗せて(!)の家族撮影旅行でした。まさかそのとき撮影した作品が後にコンテンポラリ−写真のル−ツと呼ばれることになろうとは本人も夢にも思わなかったでしょう。使用したフィルムは500本。 当時のアメリカは黄金の50年代と呼ばれ、中流階級が形成されアメリカン・ドリームの夢に国民は酔っていました。スイスからの移民者の目で、ありのままの現実のアメリカを撮影した一連のイメージはアメリカ人が抱いていた母国のイメージとかけ離れていまたらしく、発表時は“反アメリカ的”と酷評されました。当時は雑誌“ライフ”や“ルック” など社会や人間の現実の描写を重要視するフォト・ジャーナリスト的写真が主流だったのです。個人の主観的な視点で表現したフランクの写真は画期的で、その後の写真家に大きな影響を与えることになります。オリジナル写真集は“アメリカ人”として1958年パリのデルピル社から刊行されています。 見開きに1枚づつ配置された写真は約80枚、読者の見方が撮影地で影響されないようにキャプションは巻末にまとめられています。序文は当時のビートジェネレーションを代表する作家ジャック・ケラワック。これがまた傑作なんです。以下、心の琴線に触れた一節を抜粋させていただきます。
「この写真集が気に入らないって奴は、要するに詩が嫌いってことなんだよな。詩の嫌いな奴は家に帰って、でっかい帽子のカウボ−イ達が、優しい馬達に慰めてもらっているビデオでも見てろよ。ロバート・フランクにオレからのメッセ−ジ。あんた、目があるよ。それと一言、
あのピンぼけの悪魔どもでいっぱいのエレべ−タ−で、空を仰いでため息ついている哀れな悲しいエレべ−タ−ガ−ル、あの娘の住所と名前を教えろよ」。


荒俣宏の20世紀世界ミステリ−遺産
荒俣宏 著

ビブリオマニア(Bibliomania)ってご存知ですか?書物収集に異常なまでの執念を燃やす集書狂のことです。大袈裟にいえば、人生よりも本を大切にする人でしょうか。帝都物語の印税で貰った1億円のほとんどを趣味の古本購入に充ててしまったという荒俣宏氏は間違いなく日本を代表する真性ビブリオマニアでしょう。巷の噂によると、蔵書を納めるためだけの家が都内に4軒あるそうです。作家にして翻訳家、博物学研究家にして神秘・幻想学の権威。今でも月に2冊のぺ−スで単行本を出してしまうという…。そのエネルギ−、博識は、もはや人間のソレではなく「物の怪」の域に達しているといっても過言ではないでしょう。(笑) 本の帯に書いてあるコピ−「世界中のアンビ−バブル集めました」は決して誇張ではありません。「社会主義国創設者のミイラ」「石原慎太郎のネッシー探検隊」「実在したハリー・ポッターの登場人物」「日本の最終決戦兵器研究所」「シリコンバレーの呪われた館」「UFOの破片」…いずれも荒俣宏ならではのチョイスです。氏は他にも「ヨ−ロッパホラ−紀行ガイド」なるマニアックな旅本も上梓されていて、その手に興味ある人には必読でしょう。次回のヨ−ロッパ旅行の際はもちろん持参するつもりです。


アジアン・ジャパニ−ズ
小林紀晴 著

いわずと知れたべストセラ−。アジアを旅する若者のドキュメンタリー取材です。辛辣な識者からは稚拙な文章だとの批判もありますが、それはともかくバックパッカー=社会からドロップアウトした若者という偏見ともいうべき切り口が気になりますね。ある意味、本書はわたしにとってのリトマス試験紙的な意味合いを持っています。アジアン・ジャパニ−ズをどう読むかってことで人を判断するわけじゃないんですが。(笑)旅先では「この本を読んで良かった」という旅行者にも遭遇しますが、そのあげく、「今の辛い状況から逃げたければ逃げてもいいんだって気持ちになりました」なんて呟かれるともうダメですね。アウトです。つまり、本書を読んで感動した人とは正反対の感性の持ち主ってことになりますね、わたしは。単純に「自分探しの旅物語」という青春の苦悩とやらが苦手なのかもしれません。小林紀晴さんの撮る写真は独自の美意識(藤原新也の影響大だと思う)に貫かれていて決して嫌いじゃないんです。しかし、そのいささか湿り気のあるメランコリックな文体がどうしても生理的に受け付けないんですね。かって森巣博さんが姜尚中さんとの対談で小林紀晴さんのことを「この人はじつはかなりエスノセントリズム(自民族中心主義)に傾斜してるんじゃないか」と批判されてましたが、そこまでじゃないにしてもやはり著者は無意識のうちに日本的な社会的枠組みに囚われいるという気がしてしならないんですよね。






わたしの旅に何をする。

宮田珠己 著

司馬遼太郎さんや井上靖さんの書くようなまっとうな紀行文もいいんですが、生意気なことを言わせてもらえば、ちょっとスカしているよなぁ〜、あるいは、なんか肩に力が入りすぎちゃってるなぁ〜、という感が否めませんでした。最後まで読むのがしんどくて途中で投げそうになってしまったことを正直に告白します。(ま、単純に読解力のレベルが足りないだけの話なんですが)わたし個人の旅のスタンスとしては、「元素敵なサラリーマンパッカ−」ことタマキング氏に、他人とは思えないシンパシ−を感じてしまうのです。独特の小気味いい文体で綴られる旅のエピソードは、あたかも笑いのツボを押さえたカウンタ−パンチの連打のごとく、わたしの脳味噌を掻き回してくれました。こんな妙な興奮を覚えたのはナンシ−関さんのエッセイを読んだとき以来のことです。只者じゃないですね、宮田さん。旅行記だけでなく、レイ・ブラッドべりのようなシュ−ルな短編小説を執筆なさってもイケるんじゃないですか。最初に読んだとき、「やられた!先を越されたぁ〜!」とちょっとジャラシ−にも似た感情が湧きあがってしまったことを覚えていますま、この本読んだからって無性に旅に出たくなるわけでもないんですけど。


AND THE ARTLESS ART
HENRI CARTIER−BRESSON

「どう旅行をしていいかはほんとはよく知らないけれど、たくさん旅行をしてきた。ある国から次の国へ移る間、今までに見たものをよく考えて自分自身のものにするための休止を取って、時間を取って旅行をするのは好きだ。ある新しい国にいったん到着すると、その国とうまくやって生活するために そこに住みつきたくなる。世界をうろうろする観光旅行者には決してなれないだろう。写真において視覚的な有機体は、研ぎ澄まされた本能からのみ生み出てくるのだ。」(The Decisive Momentから抜粋)
フォトグラファ−であるまえに、まずは本能に根差したボヘミアンであろうとする稀有な写真家、カルチェ=ブレッソン。カメラマンを目指す人なら彼の名を知らない人は皆無でしょう。決定的瞬間という言葉の生みの親として、また世界的なスナップショットの名手として、半世紀以上もフォトジャーナリズムの頂点に君臨してきました。現在は引退して、絵画やデッサン中心の生活を送るようになっていますが、彼が写真界に及ぼした影響力は計り知れません。本書は、アメリカ、パリ、日本、インド、イラク、メキシコなど世界中を旅して撮影した膨大な作品の中から彼自身と著作者のモンティエ氏が協力して新たにセレクションした写真集です。ブレッソンの作品はトリミングなしでネガ全体からプリントされるのが特徴なんですが、どれも無駄のないアングル、構成になっているのには驚かされます。
一切の妥協、打算が感じられないんです。いつかは自分もライカ片手に旅をしたいというミ−ハ−な衝動に駆られてしまいます。


旅の王様
四方田犬彦 著

大学教授、映画評論家、文芸評論家とさまざまな肩書きを持つ著者の旅に纏わる究極のうんちく本。今は廃刊になってしまったマガジンハウス社の文芸誌「鳩よ」に連載されていたエッセイ、『旅のアマチュア』の単行本化です。四方田氏本人といえば旅のアマチュアどころか人生を味わい尽くすプロ中のプロといった感じで、旅先でのトラブルにも余裕を持って楽しんでいるように見うけらます。ボ−ドレ−ル、マキシム・デシャン、パゾリ−ニ、ロラン・バルトといった西洋知識人の興味深いエピソードをちりばめながら、旅するとはどういうことかに始まって、貧乏旅行について、旅行先でボラれることについて、などなど著者ならではのこだわりを感じさせる内容の濃い一冊。なにか大学の教室でレクチャ−をうけた気分になってきてしまうのは、わたしに教養というものが決定的に不足しているからでしょうか。

アジア自由旅行
島田雅彦×佐藤治彦 著

「旅にマニュアルはいらない。“私”の直感がガイドブックだ」。こんな威勢のいい啖呵をきれるのは世界広しといえど著者ぐらいのものでしょう。パック旅行にはない自由でマイペースな旅を提案する、ユニークなアジア旅行記。−というのは表向きで、本書は作家島田雅彦による日本人旅行者に向けた活字版アジテ−ション集という趣きがあります。以下、本書から抜粋します。「この本はガイドブックにも使えるが、しかし、いくら情報を集めたところで、迷う時は迷うのだ。むしろ、道に迷い、内臓に試練を与え、時に途方に暮れ、地元の人の情けに触れることが旅の目的になる。旅は人を謙虚にするものだし、百冊の本を読む以上の認識をもたらしてくれる」。−だそうです。みなさん、書を捨てて旅に出ましょう!

滞欧日記
渋澤龍彦 著

もともと、この書物に収められているコンテンツは渋澤氏の個人的な日記で、本来なら出版される予定のないものだったそうです。渋澤氏はこれとは別に「ヨ−ロッパの乳房」という紀行エッセイを上梓されているのですが、学術的な記述も少なくなく、そちらよりも読者の目を意識せず書かれた本書の方がリラックスして読めます。もし渋澤氏が存命ならこの文章は日の目を見ることはなかったと思うと複雑な心境です。バロック抄、マジョーレ湖の姉妹、狂王の城、バーゼル日記、エル・エスコアリアル訪問、骸骨寺と修道院、イスパハンの昼と夜、日時計について、匂いのアラベスク、フローラ幻想など、渋澤氏ならではのマニアックな嗜好が窺い知れます。パリのモンマルトルのカフェあたりでワイン片手におもむろに読み耽るなんていう恥ずかしい行為にいつかチャレンジしてみたいです。

THE CHILDREN
SEBASTIAO SALGADO

現在、最もその動向が注目されている報道写真家のひとりといわれているセバスチャン・サルガドの代表作。最近、日本でも頻繁に写真集展が開催されていて、ご存知の方も多いと思います世界の労働をテーマにした迫力のあるモノクロ写真の仕事で有名ですが、彼の場合、もう上手いとか下手とかのレベルじゃないですね。真似しようと思ってもおいそれと撮れるもんじゃありません。病気や飢餓に苦しむアフリカの難民、ブラジルの金鉱で肉体労働をするおびただしい数の人々、インドの川で洗濯をする老人、いわいるステレオタイプの典型的な報道写真ではあるけれど、サルガドの手にかかると被写体としての輝きが増すというんでしょうか。その決定的瞬間を焼き付けたモノクロプリントは、時としてあまりにドラスティックで言葉を失ってしまうほど。写真の持つ本質的なパワ−を知り尽くしているア−チストですね。ナショナルジオグラフィックの常連といても知られ、夥しい数の写真を世界各国のメディアに提供しています。かってはマグナムに所属していたんですが、なぜか94年に脱会しています。

12万円で世界を歩く
下川祐治 著

アジアを旅するバックパッカ−で下川祐治氏の著作に目に通したことがない人はまず少数派でしょうね。名前だけでも耳にしているはずです。いつのまにか貧乏旅行のパイオニア的な存在になってしまった著者ですが、もともと天下の朝日新聞出身で、その界隈では気鋭のライタ−として知られていた人です。現在下川氏の著作は少なく見積もっても40冊は下らないでしょう。日本で最も売れている旅行作家の一人になったにもかかわらず、いまも貧乏旅行時代の癖が抜けないのか、タイでもついつい300B程度の安宿に泊まってしまうそうです。そんな貧乏根性(スミマセン)が染み付いてしまっている氏に強い共感を覚えずにはおけません。(笑)
「12万円で世界を歩く」は旅行作家としての下川祐次氏の実質的なデビュ−作。東南アジアのみならず、ヨ−ロッパ、ヒマラヤ、カリブ海… 文字どうり12万円という限られた予算をやりくりして敢行したサバイバル旅行記です。たとえ、タバコ一本、コ−ヒ−一杯でもサイフと相談しながらの極貧道中は、今だったらTV局の企画として取り上げられそうな内容です。出版からすでに10年以上経過しているので、さすがに物価の変動はありますが、その徹底した倹約振りはやはり参考になります。当時、海外旅行ってこんなに安く行けるんだと知ったときはちょっとしたカルチャ−ショックでした。数多い下川氏の著作の中でも、本書がわたしに与えた影響は今から思うと計り知れないものがあります。確実にいえるのは、この「12万円で世界を歩く」という書物に巡り合わなかったら、これほど旅にハマることはなかっただろうということです。そういう意味では、わたしの人生を狂わせた罪作りな本といえるかもしれません。



明るい旅情
池澤夏樹 著

芥川賞作家という肩書きは池澤夏樹氏にとってはあまり意味をなさないように感じます。そんな文壇の権威主義的な立場から最も遠い場所で活動している孤高の放浪作家の紀行エッセイ集。本書を読むと氏が文才に恵まれているだけでなく、旅の達人であることがわかります。実現しなかったヨーロッパ最北端踏破行、世界中で日本に最も程遠い場所を探して出会ったナイル川上流の広大な湿地帯での出来事。ドミニカ沖で知り合ったクジラの話など、しっとりと落ち着いた筆致で綴られています。父親が作家、母親が詩人という恵まれた家庭環境で育ち、自身も優れた翻訳家でもある著者は、日本語の扱いに関しても理路整然としていて、文章にスキがないんです。自然や歴史、美術、考古学的な知識もハンパではなく、スマ−トで流れるような記述、巷に氾濫している凡庸な旅行作家の紀行文を遥かに凌駕しているのはいうまでもありません。文庫腰巻には「注意!この本を読むと、旅の虫が騒ぎます!」とありますが、まさしくそのコピ−に本書の魅力が集約されているような気がします。

「旅を正当化する立派な理由など何も必要がないのだと、私は思っている」

by 前川健一